『人生の主役になりたくて』
まさか、俺が飲食店で働くなんて思ってもみなかったんだよね。
芦別工業高校機械科を卒業して札幌の建設業へ就職し、2年間
札幌や本州、青函トンネルで働き、ある時15時の一服(休憩)の時に
「あれ?俺の人生これでいいのかな?」と思ってしまったのね。
そしたら無性に「俺の人生はこれで終わりたくない!!」とね。(笑)
でも、「自分に何が合うのか?何をやりたいのか?それを見つけなきゃ!!」
と思い、数か月後に辞めたんだよね。
それから、何をしたいのか?何が合うのか?を探して何ヶ所かで働いたけど、
結局、目標もない人間が世間任せに自分に「何が合うのか?何がしたいのか?」
なんてのを偶然見つけようなんて言う方がどら焼きより甘いよね。(笑)
で、漠然と「ススキノで働いて、2,3年したら自分でやって従業員を3,4人
使って楽して暮らそうかな?」なんて、これまたどら焼きに蜂蜜を掛けた甘さだよね。(笑)
でも、当時“ススキノ”で働くって言うのは一般社会とは違う世界へ行く感覚だったのさ。
で、「よし!昼の仕事を一年間びっしりと働いて汗をかくだけ掻いて、もう昼働くのはいいよ!
ってなってから夜だ!!」って思ったわけ。
もう、ダラダラとバイトしては辞めてを繰り返していたら、
高校時代の50’s (フィフティーズ)が好きな友人が
「一ヶ月程本場アメリカへ行って、レコードや服を買いに行くんだ!!」と言うのを聞いて
「そうだ!日本に居るよりも小さい頃から憧れていたアメリカへ行けば何かが見つかるかも知れない!!」
と思い、俺も一緒に行くことにしたんだ。
ハイラックス・サーフを売って、ロスへ行ったんだよね。
楽しかったよ。でも、自分のやりたいことは見つからなかったね。
当たり前だよね、向こうで働いたんなら何らかの気づきもあったかも知れないけど、
食べて、飲んで、レンタカー借りて買い物をして、観光して飲み歩いてそんなんじゃ
ただ、遊びに行っただけだもんね。強いて言えば、「黒人は人懐っこいな」と言うことと
歌とかで英語は身近に感じてたけど、“チャイナタウン“へ行った時に日本語だけではなく
英語さえも伝わらなかった時には、アメリカへ行って初めてカルチャーショックを受けたくらいかな。
あと、ドリンクでも何でもサイズの大きさね。(笑)
無事、札幌へ帰って来て「さぁ、そろそろ真剣に働こうか」と思い、アルバイト情報誌
切り抜き3枚をジーンズの後ろポケットに入れて、ススキノの公衆電話から掛けて、
社会保険とか福利厚生がある店も良かったけど、「2店舗同時オープン!!」というのがあって、
「ここなら、オープンするから先輩とか居なくて俺みたいな初めての人たちばかりで楽しく働けそうだな」などと、
これまた、コーヒー牛乳に砂糖を入れて飲むくらい甘い考えね。(笑)
安易な考えで入った2店舗同時オープンのお店。
結局、俺は元々あった姉妹店の“RAP”と言う全く“RAP”とは程遠い店で飲食業デビューし今に至ってるんだよね。
働き始めて一週間もしない内に「あぁ、探していたものってこれだったんだ!!天職ってあるんだな~」と。
で、その時に入った店は「2店舗同時オープン!!」から、会社を設立してその後ススキノだけではなく
北海道全体で50店舗くらいと、東京へ出てついには上場してフランチャイズを合わせて全国で1000店舗近くになったんだよね。3店舗から1000店舗って。(笑)
お店も人も増えて、また新店舗の立ち上げやら複数店舗を任せてもらったりと楽しかったし、
「やりがい」は大いにあったよ。でも、何かの切っ掛けで2004年に16年お世話になったその会社を辞めて現在の
「(有)丸か加藤商店」を創業し今に至ってるって話さ。
飲食店の面白さは「自分が思ったことを形にできる」ことと「小が大に勝てる」こと。
それと、ナンバーワンではなくオンリーワンで人から認められるのが面白い。
そして、自分の人生の主役になりたければ飲食店が一番!!(笑)