仕事の話をしていて、例えばAとBに同じ話をしたとしても結果が全然違ってくることがあります。なぜ?そのようなことが起こるか?と言うと、確かに”感性”の違いはあります。が、それ以上に「見てる景色が違う」と言うことなんだと最近思っています。「山を登った時の雄大な景色を思い浮かべワクワクしながら登るのか?足元しか見ないのか?」の違いです。そうですね、メニュー改正を一つとってもAはそのメニューが出来た時にどんな営業になっているか?が想像できてるのに対してBはメニュー改正が目的になってるんですね。つまり、Aはメニュー改正をした時のスタッフの動きからお客さんの喜ぶ顔まで感動を想像し、スタッフがやりがいを持ち、お客さんが喜び店がワクワクして盛業するメニューが出来上がるけど、片やBは足元しか見てないので「えっ?これで果たしてお客さんが来るの?つーか、こんなメニューでお客さん嬉しいか?次に誰かを誘って来たくなるのか?」という、何処にでもある商品もそうだし、自分では「これなら!」と思ってますが、「その店では今まで出してなかっただけで、他のお店では普通に出してるので、わざわざBの店に来なくても食べれるメニューーだよな?それのどこがワクワクするの?」と。
また、よくタスコ時代に”高田社長”が「ビジュアル化させろ」と言われておりました。語る方も相手が映像化できて、その場で働いている気にならせるんですね。先程の話で言うとAはメニュー改正の話をしてる時には笑顔で時には感動し涙ぐんでるんですね。既にそこで自分とスタッフがどのように働いて、どんな言葉を交わし、お客さんを迎え入れてどんな会話や動きをしてるか?を。(自分もそうだけど、スタッフとお客さんの会話も想像してるので笑顔だし涙ぐむ)でも、残念ながらBは作業としてのメニュー改正(メニュー改正のためのメニュー改正になってる)なので、そこに自分もスタッフもお客さんも居なく、単に仕込みをしてる自分の姿のみ。実はこの流れって単なるメニュー改正ではなく、こうした一連の映像化されたストーリーは業態やコンセプトの見直しにもなるんですね。また、ここがキモなんですが成功のカギはビジュアル化された自分の頭の中や感情を上手くなくても口にすること。(出来れば感情をこめて身振り手振りで)中にはせっかく映像化出来てストーリーも出来てるのに周りに言わない(言えない)ので、ひとり相撲になり永遠と進まなく、その内に熱が冷めてしまい中途半端になる事です。
メニューでもフェアでもなんでもそうだけど、「何のためにやるのか?」「それが上手く言ったらどうなってるのか?」を映像化出来て笑顔になっていないとダメです。そして、それを「俺は私はこうしたいんだ」「それが上手く行きこうなれば絶対にいいよな!!」と伝えられ”感動の共有”をすること。
追記 そう、「あふれる感動を燃えたぎる心で伝える」。そういうことさ。
あたくしは、そのような話(夢や希望や楽しくなること)を語ってるのが本当に好きです。まぁ、実現に向けるには並大抵ではなく頓挫してしまうこともあるけど、失敗も隠すのではなく堂々と共有化することで次につながるんですね。