トップギア

「松波さんの話と祭りのあと」みたいだなと言う話ね。

前にも触れたけど、”松波さん”と会ったのジャスマックプラザホテルの花遊膳の副料理長から(この前、ラジオでタスコ時代に”松波さん”が料理長だったオークラビルの地下1階“漫遊亭”って言ってしまった)、グルートすすきのビルの「北海道むかし話」で料理長として来てくれてからの付き合いだって言ったよね。料理も出来な知らなくて、接客一直線でがむしゃらにやっていたあたくしにとても共感してくれたってね。あの当時の職人って、調理が上でホールが下って時代だったからね。でも、「部長イイ!!俺の若い頃に似てるからガンガンやっていいから!!」ってね。(笑) ある時に店に行くと水槽に入れるブクブクって酸素を入れるエアポンプ?って言うの?それを入れた発泡スチロールにクロガシラだかマツカワカレイだとかが入ってんのさ。

売上も悪く利益も出てないのにさ、そんなの関係なしに馴染みの魚屋さんから取っちゃんだよね。「えっ!?なんですかこれ?」「あっ、これね00さ、売ってくれる。」って、悪気なく言うんだよね。やっぱその辺は職人なんだよね。(笑) そこで、あたくしが「原価が」とか「売れませんよ」なんて言うとその時点で舐められて後手に回るから「分かりました!」ってね。それで、半ば強引にバンバンとオーダーを取って来るから「コイツは口だけじゃないな」って認められたのさ。だから、子供たちの小学の運動会に呼ばれて、酒飲んで大いに騒いで、その後に松波さんの家で二次会やって、競馬がある時は賭けて、松波さん北海高校出身だから円山で北海の試合があれば奥さんが運転して皆で応援に行ったりと本当に良くしてくれたし、楽しかったよね。

で、この度、令和四年12月29日に闘病の末に亡くなって、2日が通夜で3日が葬式。凄い数の人と花ね。そして、故人の生い立ちの中で行年64歳と聞いて、俺のオヤジが24年前に死んだ歳とほぼ同じなんだよね。そう思うと男の子一人、女の子二人、孫六人に恵まれたけど俺のオヤジはドラ息子が二人で孫なしだからね。それを思うと幸せな人生だったなと。

俺のオヤジ死んだ時に敢えて社長と専務にしか言わなかったんだよね。だって、別にオヤジは一緒に仕事もしてないし、何らかの関りもなく、あくまで俺の家族だけの事だから。でもね、”松波さんと西チーフ”や数人がどこからか聞きつけて来てくれてね。義理堅いのさ。

出棺の時に北海高校の第30期の同級生やOBがね、校歌と応援団のエールでお見送りしたんだ。さすが、伝統校だけあるなと感心したよ。

追記 今年ものっけから満身創痍ぎみだけど、前進!前進!トップギア!!なのさ。

なんかさぁ、ここ最近特に思うのが楽しい時間が終わって、興奮から醒めて虚脱感や寂しくなる祭りのあとみたいな感じだなと。ほら、小さい時に皆で遊んでいてご飯だからって一人またひとりと家に帰っていくようなね。子供の頃なら次の日に学校や公園やグランドに行けば会えたけど、今はそれっきり。

色々な意味で、この3年、4年位は1年ずつスタッフもお客さんも居なくなっていくもんな。今いるスタッフもお客さんもいつまでこうしてお祭り騒ぎをやっていられんだろうって、来年の今頃もこうして居られるのかな?と思うと寂しくなるよね。なので、仕事も遊びも飲みもフル回転。無理したりしなかったりとね。何か燃えるような熱くなれることを一緒にやり語れればいいかなと。今回のは「丸かの今夜もひとりバックドロップ!!」でも話していますので。

諸々と、もうちょい待ってね。

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