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『時代』と言う二文字で見過ごしちゃいけないかと。

致知出版社の人間力メルマガ 2023.1.26より。

日系ハワイ州元知事のジョージアリヨシ氏には忘れられない出会いがあるといいます。それはアリヨシ氏がアメリカ軍に入隊した頃、戦争で焼け野原となった東京で出会った靴磨きの少年です。アリヨシ氏は少年の気概や心情を通して「この国は必ずたくましく立ち上がる」という確信を得ました。その感動的な実話をお届けします。

私が最初に日本の地を踏んだのは1945年、第二次世界大戦が終わって間もなくのことでした。アメリカ陸軍に入隊したばかりの頃で、焼け残った東京丸の内の旧郵船ビルを兵舎にしてGHQ(連合国軍総司令部)の通訳としての活動を行ったのです。私は日系アメリカ人です。両親はともに九州の人で、福岡出身の父は力士を辞めた後に貨物船船員となり、たまたま寄港したハワイが好きになってそのまま定住した、という異色の経歴の持ち主。ここで熊本出身の母と出会って結婚し私が誕生しました。

私は高校を出て陸軍情報部日本語学校に学んでいたことが縁で、通訳として日本に派遣されることになりました。東京で最初に出会った日本人は、靴を磨いてくれた7歳の少年でした。私は思わず「君は子供なのに、どうしてそういうことをやっているの」と質問しました。少し言葉を交わすうちに、彼が戦争で両親を亡くし、僅かな生活の糧を得るためにこの仕事をしていることを知りました。

その頃の日本は厳しい食糧難に喘いでいました。それに大凶作が重なり一千万人の日本人が餓死すると見られていました。少年はピンと姿勢を伸ばし、はきはきした口調で質問に答えてくれましたが、空腹であるとすぐに分かりました。兵舎に戻った私は昼食のパンにジャムとバターを塗ってナプキンで包み、他の隊員に分からないようポケットに入れて少年のもとに走り、そっと手渡しました。少年は「ありがとうございます。ありがとうございます」と何度も頭を下げた後、それを手元にあった箱に入れました。口に入れようとしないことを不思議に思って「おなかが空いていないのか」と尋ねると、彼はこう答えたのです。「僕もおなかが空いています。だけど家にいる3歳のマリコもおなかを空かせているんです。だから持って帰って一緒に食べるんです」私は一片のパンをきょうだいで仲良く分かち合おうとする、この少年に心を揺さぶられました。この少年を通して「国のために」という日本精神の原点を教えられる思いがしたのです。「いまは廃墟のような状態でも、日本人が皆このような気概と心情で生きていけば、この国は必ずたくましく立ち直るに違いない」そう確信しました。果たしてその後の日本は過去に類のないほど奇跡的な復興を遂げ、世界屈指の経済大国に成長しました。

通訳として日本に滞在したのは僅か2か月です。しかし、私は今日に至るまでこの少年のことを忘れたことがありません。日本に来るたびにメディアを通して消息を捜したものの、ついに見つけることはできませんでしたが、もし会えることがあったら、心からの労いと感謝の言葉を伝えるつもりでいます。ここまで。

確かに戦後という時代背景はありました。ここ最近まで、「日本は資源がない」と言われて来ましたが(本当は日本の領海やEEZ内に天然ガスやら鉱物資源がかなりあることが昨今の調査で分かっております)、焼け野原の敗戦国から最高で世界第二位の経済大国までになったのには、紛れもなくそこには「日本人の誠実さと勤勉性」という資源があったからです。しかし、ここ最近は自分の主張や権利は一方的に言うくせに、そのくせ責任と義務を課せられると「ハラスメント」という言葉を使っては義務と責任を放棄している傾向が目立ちます。あたくしはこのような輩は「卑怯者」だと思います。別に雇用する側だからと言っているのではありません。先ずは、自分の義務と責任などやることをやってから言えばいいだろう思うからです。

今ではあまり聞かなくなりましたが、以前はよく「努力していれば、ちゃんと周りが見ているから」と言われたものです。また、確かに正直に誠実に勤勉にやっていればちゃんと評価してくれていました。だからこそ、「よし!もっとやって喜んでもらい評価してもらおう!!」となり周りから期待され多くのチャンスをもらい会社も従業員も相乗効果で互いに成長したものです。現在はまともなことを言っても言葉狩りで逆に吊し上げられる偏狭な世の中になり、「これからの日本は日本人はどうなっちゃうのかな?」と思うけど、せめて自分の周りではそのようなことのないようにして行こうと思っています。

追記 仕事を通しての成長が一番楽しい。

いつの頃からか、「恩を感じて恩に報いる」から「恩を感じて仇で返す」になって来たんだろうか・・・・・。

と言うことで、本日は「丸かの今夜もひとりバックドロップ!!」の更新日です。

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