もう、二十数年前になるでしょうか?ベトナムへ行ったのは。(うわ~、そう思うと焦る)目的は当時働いていた”上海月(シャンハイムーン)”の女子の制服作りと備品などを買い付けに。南ベトナム最大の都市ホーチミン(旧サイゴン)を中心に。(因みに首都は北の方のハノイ)現地の日本人(しかも、札幌出身)のガイドさんに大変お世話になりました。
では、ベトナムの思い出①、ビールが水より安いので「333(バーバーバー)」と言うアルコール3%のビールばかり飲んでいたの水下痢になり正露丸の力を改めて思い知った。②、部屋や外の壁にヤモリが平気で歩いてる。③、実はフランスの植民地だったのでフランスパンが美味しいし、それに色々な物を挟んで食べたのも旨かった。④、「犬鍋を食べますか?」と言われて速攻で断った。⑤、屋台まで行かない屋台のような所で飲み食いしててビールを頼むと子供が道路の向かい側へ歩いて行き、1リットルくらいのポリタンクを両手に抱えて来たのが先程の「333」だった。きっと水下痢はこれだと確信した。⑤、実はコショウも有名でかなりスパイシーで旨い。⑥、めっちゃ交通量が多く特にバイクの3人乗り、4人乗り、中には5人乗りまでいた。
⑧、買い物へ行くとベトナムの女の子が「ミャーミャー」と言いながら日本で言えば子供用のプラスチックの椅子を置いて「ここに座ってじっくり見て!」とものすごい勢いで誘われる。一緒に行った人と「なんか、”瀬口”に似てるよな」と妙に懐かしく感じた。⑨、シクロと言う自転車タクシーみたいなのに乗ったら気持ち良かった。⑩、買い物へ行くと華僑のおじいさんと格闘技の話で盛り上がり、おじいさんは「少林寺拳法をやってる」と自慢して来たので「俺は空手をやってる」と言うと、速攻で軽くスパーリングが始まり事情の知らないガイドさんが慌てていた。⑪、カラオケと言う女性が付くいかがわしいお店に連れて行かれたら、店長さんと店員さんが笑顔で「シャチョさ~ん」と、もの凄い勢いで部屋に入って来て「333」のビールケースを二人して両肩に4ケース持って来て「いくらでも飲んで下さい!!」的な催しになった。ガイドさん曰く、「この前札幌から来た同じ飲食店の”0村社長と00さん”を連れて来た時の大盤振る舞いがあったから。」と、この上なく迷惑なことをしてくれたもんだと思った。⑫、そこは女性を紹介してくれるとのことでしたが、あたくしは日本ならいざ知らずこのようにお金の力で途上国の女性とは遊ぶ気にはならないので、単純にカラオケと「333」とフルーツなんぞを食べて済ました。(しかし、”0村社長と00”は余計なことをしやがったもんだ!!)
⑬、帰る日の晩御飯にガイドさんの住んでる所に呼ばれて食事をご馳走になった。そこはコンクリート打ちっぱなしで涼しい感じで2階へ上がりベトナム人の家政婦さんが作る「お粥」を食べた。これが本気で旨かった!!「お粥」に入れるおかずが何種類かあり、好きなのを入れて食べるシステム。ガイドさん曰く、家政婦さんの地元の味付けだとか。その時に窓からそよ風が入って来て「気持ちいいでしょう」と。「海からの風なんです。ベトナム戦争当時に戦場から休暇で来た米兵がこの風に癒されていたんです」と、ベトナムの昼間の暑さと湿度、コンクリートのヒンヤリした感覚、海から来るとても心地よいそよ風、ベトナム戦争には居なかっただろうにまるでそこに居たかのように話して下さったガイドさん(悪口ではないですよ・笑)。また、本当に家政婦さんなのか?と今でも思ってるベトナムの思い出でした。。。。。
追記 もう、都会になったんだろうな~。でも、またあの風をあたりに来たいなと。
あっ、ベトナムの前に台湾へ行ってたんです。前にも言ってますが、この時です”中川”が財布を新千歳空港に忘れたのが。(笑)
21日の日曜日”祥子”の43歳の生誕祭でした。↓
”ありさ”がケーキを。同じく常連さん「”祥子ちゃん”、甘いもの食べないんだけどね。」と、おごじょの常連さんらしくわざわざ口に出して言っておりました。ねっ、”白鳥&ゆかちゃん”。(笑)
あたくし、イチゴだけ食べようと思っておりましたが、日本酒で飛ばし過ぎて何がどうなったのか定かではございません。昼から飲みながらのボーリング大会と17時から始まり0時近くまで日本酒と白ワインを飲み続けるツワモノども。まぁ、”おごじょ”の常連さんだもんね。(笑)
翌日、スマホの画像を見るとこんな絵図らが。うる覚えですが、「このフキって食べれんのか?」と思ったような・・・・・。