そうです、今週の「丸かの今夜もひとりバックドロップ!!」は『あなたの街(町)の横丁、00通り』です。と言いうことで、あたくしが育った芦別の繁華街?には「都通り」なんていう、いかにも全国津々浦々にある「銀座通り」に匹敵するくらいありふれた名前の「通り」がありました。(笑)
どうですか?一目見て賑わいが手に取るようにわかるでしょ?(笑) 繁華街と言っても昼と夜の顔があり、昼は服屋さんや花屋さんや理美容や花屋さんなどがあり、夜はスナックや居酒屋やナイトイン・サパー!などが。(笑)全盛期の芦別は一次産業が炭鉱だったので、鉱夫だけではなく関連する会社の人たちや林業もあったし、今では世界的なシェアを誇るベアリング工業なんかもあったので、最盛期には7万5千人ほどがいてさぞかし賑やかでした。
あたくしは高校2年生頃から西芦別から芦別市へ来たんですが、いつも自転車で都通りやらを流して?いましたね。前にも言いましたが、だ~れも敵なんかいないのに(知り合いなので)甚平に下駄を履いてアホみたいに背中に木刀なんかを差して一体何をしてたんでしょうか?(こっちが聞きたいわ!!)
高校に入り、ディスコティク「エアポート」なんぞが出来て(殆どのお客さんは高校生)土曜日には「サタデーナイトフィーバー」気分だったり、「エンジェル」と言う、まったく天使でもない悪魔のマスターのやってる店に入り浸ったっていましたね。(笑)
そうそう、「欽ちゃん」の原点でもあるホルモン焼きの「恵久ちゃん」や「三千里」なんかもありました。あたくしは大人になってから「三千里」でしたが、芦別時代は「恵久ちゃん」でして、実は「欽ちゃん」の味は「三千里」しかなくなっていたのでそこを参考にしましたが、あたくしの脳裏にある味や内装の雰囲気は「恵久ちゃん」なんですね。
昼は昼の賑わいの「都通り」で、夜は夜の華やかな「都通り」。あたくしは、たまに帰った時に札幌ではそれ以上に賑わって華やかな「通り」や「横丁」を見ていますが、実は今でも芦別の「都通り」を歩くとワクワクするんですよね。。。。。
追記 どうですか?皆さんの思い出の「通りや横丁」はありますか?
ススキノにも沢山の通りや横丁があるけど、意外と便利なんよね。「どこどこ通りの何ビルの何回の何々って」ね。けど、あれって同業者だけだったのかな・・・・・?