トップギア

お盆と終戦を思う。(第一部)

大東亜戦争末期、日本軍は最後の手段として爆弾を抱えて敵艦へ突っ込むと言う特攻攻撃を実施しました。(最悪です)その特攻攻撃の任についたのは10代~20代の夢と希望のある若者たちでした。

その若者たちから「母親」のように慕われたのが、「富屋食堂」の”鳥濱トメ”さんでした。本日は、その「富屋食堂」での”トメさん”と日本を故郷を家族の未来を思いながら散華した行った若者たちの数あるエピソードの中から2つを「トップギア!!」のテーマにしました。

皆さん二十歳前後なのに。しっかりとした顔つきをしていますね。

あたくし自身、2回鹿児島の「知覧特攻平和会館」へ行き、遺影1036柱と遺書や形見を見ていて涙を堪えるのに必死でした。当時、特攻隊の生き残りで「語り部」の方もご存命で話は聞いていた人のあちこちからすすり泣きが聞こえていました。

それでは本や映画にもなった「宮川三郎」氏のお話です。

大東亜戦争末期、敗戦が濃厚になった日本軍が取った「と号作戦」いわゆる「特攻」。10代~20代の若い隊員たちが航空機に250キロ爆弾を抱え、連合国の艦船に突入する百死零生の攻撃方法です。宮川少尉も特攻隊員でした。

宮川三郎軍曹(少尉)は昭和二十年五月半ば、特攻基地のある「知覧」の富屋食堂に姿を現しました。生まれは雪国「新潟」の小千谷(おぢや)、色白でハンサムな男性でした。
知覧に近い「万世(ばんせい)飛行場」から、一度は特攻出撃したものの、機体の調子が悪く帰還した経緯があり、そのせいで生き残りの烙印を押され不忠の汚名を着せられました。
そんな宮川少尉といつも連れ立っていたのは滝本伍長でした。彼もまた、同じく万世から出撃し帰還した一人でした・・・。

宮川少尉は、富屋食堂で奇跡とも言える再会を果たします。その相手は「第五十振武隊」の松崎義勝伍長です。
松崎伍長は、宮川の故郷、新潟県小千谷高等小学校在籍当時の良きライバルでした。2年間ではありますが、机を並べた仲でした。卒業後、それぞれの道に進んでいたので、まさに「奇跡」と呼べる再会でしたが、そのわずか二日後、松崎伍長は出撃し還らぬ人となりました。

そしていよいよ、宮川少尉にも出撃の命が下ります。

運命の出撃は六月六日。その前日は宮川少尉にとって満二十歳の誕生日でもあったのです。
鳥濱トメは出撃前夜、富屋食堂で心づくしの手料理を振る舞い、宮川少尉の誕生祝いと出撃のはなむけとしたのです。
トメの愛娘である礼子や、知覧高等女学校の生徒たちは「なでしこ隊」として、宮川少尉ら特攻隊員の身の周りの世話をしており、出撃前日には血染めの日の丸の鉢巻きを作って手渡していました。宮川少尉はお礼に、当時としては高価だった、兄からもらった万年筆を「俺だと思ってくれ」と礼子に渡しました。

出撃前夜は空襲警報が鳴り響き、宮川少尉と滝本伍長、そしてトメと愛娘のふたりは防空壕へ2~3回入り出たりと。防空壕を出た5人が外を飛び交う蛍に見入ったちょうどその時、宮川少尉は、ある約束をしたのです。
「おばちゃん、俺、心残りのことはなんにもないけど、死んだらまた、おばちゃんのところへ帰ってきたい。なぁ、滝本。」滝本もうなずきました。
「そうだ、蛍だ、俺、この蛍になって帰ってくるよ。」
トメさんは「ああ、どうぞ帰っていらっしゃい。」
宮川少尉は腕時計を見ながら「九時だ。じゃ、明日の晩の今頃に帰って来る事にするよ。俺たちが入れるように、店の正面の引き戸を少し開けておいてくれよ」
トメさんは「わかった。そうしておくよ。」と答えます。
宮川少尉はさらに続けて、こう言ったのです。
「俺が帰ってきたら、みんなで<同期の桜>を歌ってくれよ」
トメさんは涙をこらえながら伝えました。
「わかった、歌うからね・・・。」

出撃の朝は雨が降りしきっていました。

その日の夕刻、トメさんが店を片付けていると出撃したはずの滝本伍長が入ってきました。宮川少尉と滝本伍長の二人は、出撃したものの雨で視界が悪かったため、沖縄までたどり着くことができるかどうか怪しいほどでした。滝本伍長は二度、三度となく宮川少尉に引き返すよう促しますが、宮川少尉は「おまえは帰れ、俺はいく」という身振りで、一向に戻ろうとせず、ついに、滝本伍長はひとりで知覧に引き返してきました。
夜になってラジオが9時を告げ、ニュースが始まってすぐのことでした。わずかに開いた表戸の隙間から一匹の大きな蛍が入ってきたのです。
二人の娘たちは、ほぼ同時にその光景に気がつき叫び声をあげました。
「お母さーん、宮川さんよ、宮川さんが帰ってきたわよ!」
トメさんは息を呑みました。
そこには、紛れもなく帰ってきた「宮川少尉」がいたのです。気がつくと、店にいた兵隊たち、滝本伍長、そしてトメさんと娘たちは「同期の桜」を歌い始めていました。

貴様とおれとは
同期の桜
おなじ航空隊の
庭に咲く
咲いた花なら
散るのは覚悟
みごと散りましょ
国のため

貴様とおれとは
同期の桜
離れ離れに
散らうとも
花の都の
靖国神社
春の小枝で
咲いて逢ふよ

宮川少尉はトメさんたちとの「約束」を果たしました。そして、現代を生きる私たちに日本の未来を託し、今も蛍となって見守ってくれていると思います。

miyagawa

宮川 三郎少尉  享年二十
昭和元年六月五日生 新潟県小千谷市出身
昭和二十年六月六日 陸軍特別攻撃隊第一〇四振武隊
戦死後 二階級特進 少尉任官

追記 ”鳥濱トメ”さんが亡くなった通夜の夜のこと、ひっきりなしに訪れる弔問客も落ち着いたころ、一段落したしお茶でもと言うことになった時に、どこから飛んできたのか、1匹のホタルが、光りを放ちながら尾を引いてトメさんの柩のある部屋をスーッと横断していっただとか。目の前で目撃した孫である”鳥濱義清さん、明久さん”は世にも不思議な出来事に、何もしゃべれなかったそうんだとか。

本日、更新日でもある「丸かの今夜もひとりバックドロップ!!」でも触れております。

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