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礼に始まり礼に終わる・・・・・。

って言われたのは、あたくしが西芦別中学校で剣道部で言われた言葉です。まぁ、剣道部時代の細かいことはまた次に機会にします。今日は中1,2と顧問の先生は「村上先生」(通称ぐじゅ)でした。村上先生は数学と美術の担当でして、先の戦争では陸軍として従軍した方です。

なぜ?「ぐじゅ」と言うのかは、代々受け継がれてきた「あだ名」なので詳しい話は分かりませんが、聞いた話では「ぐじゅぐじゅ、もごもご」と話すからだとか。「村上先生」は見るからに戦前に生きて、戦後に教員をして来ただけあって姿勢も良く真面目な先生でしたね。

一度、「村上先生」と夏休みに稽古をした時の話です。少しは自信がありましたが、定年間近の「村上先生」の打ち込みも激しいし、打ち込んでも跳ね返されるで、途中から悔し涙を流しながら稽古をしました。けど、不思議なもので、その全く敵わない中でも必死に食らいついた稽古の後は剣道が上達していたんですね。

あの時に、自分より格下や同じくらいの人とやるよりも上手い人とやらないと強くならないと中2ながらに思い知りました。「村上先生」は翌年退職してしまい、教頭の「内藤先生」が顧問を担当するようになりました。やはり、教頭先生なので中々稽古には来れず、殆どが自主練でしたね。

3年になり、あたくしが主将になり副主将は”むら”。あたくしよりも強かった「久保じ」は転校し、もう一人強い「島倉の信ちゃん」は練習に来ない状態。でも、この”信ちゃん”は練習には来ないけど試合になると勝つと言う天才肌でもありました。

中1,中2と市内大会の団体戦では優勝をしていましたが、あたくしが主将になった中3は準優勝に終わりました。団体戦は先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の5対5の戦いで、勝数の多い方で競います。

しかし、中堅の信ちゃんとあたくし以外は負けてしまいました。その時は「負けたな~」的な感じでしたが(なんせ個人戦では優勝してたので)、でも、退職した「村上先生」が来てくれていて(試合中は気づきませんでした)、負けた後に「村上先生」を見つけて挨拶に行った時に殆ど声にならない声で「こんにちわ」と言うのが精いっぱいで、そのままトイレに行き、悔しさと、申し訳なさで泣きました。まぁ、一つ下の女子の股間に竹刀で「突ーッ!」なんかしてたからですね。(クソが)

西中は、剣道部を始めサッカー部、野球部、バスケ部、ブラスバンド部と強く市内では敵なしで、サッカー部や野球部も中体連の上位の常連で、ブラスバンド部なんかは全道大会などで準優勝したこともありました。ただ、どの部活も指導者が転勤などで居なくなると一段階、二段階と落ちてしまうんですよね。

剣道部は「村上先生(ぐじゅ)」、サッカー部は「学校に来なくてもいいが部活には来い!」と家まで迎えに行くと言う「柴田先生(シバセン)」、いつも酒臭くて腰が悪いので何時でも長靴を履いていた野球部の「竹村先生」、バスケのボールを扱うように手のひらで殴る「村上邦夫先生(くにお)」、ブラバンは怒ると怖い「安田先生」などと、本当に指導力のあった先生たちでしたね。

例えば、西中野球部のメンバーなんかが全員同じ高校へ行って野球をやってたら全道大会の常連校になってたし、春夏どっちかで甲子園に行ってたと思いますよ。(笑)

追記 まぁ、店舗でも店長次第なんですけど。

あっ、因みにあたくしの得意技はフェイントからの小手、面でしたね。(笑) 「シバセン」が転勤した明苑中学校はその後、しばらく中体連でも全道へ行きました。やっぱり、指導者で変わるんですね。

昨日、西中の外山と大内と内藤に会いましたし。やっぱり、あの頃の話は楽しいよね。

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