はい、今日から11月です。
もう、かれこれ20数年前にススキノのサイバーシティービル1階に「上海月(シャンハイムーン)」と言う中国料理のレストランバーなんぞに居た時の話です。因みに、その頃は”細B”が店長で”経田チーフ”が料理長(隣の暖中(だんちゅう)と2店舗の)で、”中川”と”祥子”も働いておりました。なんなら、諸事情で約一年間”瀬口”も居ましたね。
で、そのお店に”加藤さん”と言う常連さん(60代後半かな)がカウンターに座っていました。その「上海月」はカウンター、ホール、円卓、個室(ルームと呼んでいました)とに分かれていて、全部で150名ほど入るお店だったんですね。考えてみると、隣の「暖中」が60数名入ったので合計210名ほどのお客さんを週末では2,5回転さばいていたんですね。そう思うと、両方の料理を出していた厨房は凄いですよね。つーか、文字通りピークは戦場でした。(笑)
あれ?なんの話だったっけな・・・・・「!!」。そうだ、そんなお店で忙しく一応働いていたあたくしがトイレチェックの帰りに円卓のスタッフやお客さんのスリッパなどを向きを揃えてカウンター方向へ向かうと、その常連さんの”加藤さん”に手招きをされたので「どうしましたか?」と行くと、「部長(当時)、偉いね」「何がですか?」「忙しくてもちゃんと履物を揃えて」と。「いえ、当然の事ですから」と心の中ではドヤ顔300%でしたよ。(笑)
でも、「あぁ、ちゃんと見てる人は見てるんだな~。このようなことから信頼や信用が生まれるのか」と思ったものです。そう、教育者でもあり浄土真宗の僧侶でもあった”東井義雄氏”が「『ほんもの』と『にせもの』は見えないところの在り方で決まる」「見えないところが見えるところを支えている」「見えないところが本物にならないと、見えるところも本物にならない」とおっしゃっていましたね。そう、いくら見える所(人間でも外見)の上っ面を良くしても、誰も見ていないであろう所や心の在り方が本当の見えてる所や外見に現れるんですよね。
追記 これに関しては、あたくしも含めて色々な意味で”丸か”全体が気をつけなければ行けない事だと改めて思い知らされます。
こう見えて、あたくしは靴の揃え方にはうるさいです。まぁ、”加藤さん”に言われて余計に意識したのもありますが(だから、良いことも悪いことも言った方がいいよね)、小さい頃から玄関へ上がる時には「履物を揃えて上がりなさい」とか、「自分で食べた茶碗は自分で下げなさい」と言われてきたのもあります。あと、「道で知ってる人にあったら必ず挨拶をしないさい」とも。挨拶に関してはたまに逃げます。なぜか?「きっと、俺なんかに声を掛けられるのは迷惑だろうな」と勝手に思ってるのもあります。そうだ、あたくし履物も揃えますが(なんなら人のも)、大人になってからは「吐きもの」にもうるさくなってますね。酒を飲んでからの。(オイッ!)