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一周忌と20年の時を経て。(収録も含む)

風邪の時の話にね、早いもんで祥子の一周忌の話も出たよね。でね、今この放送を聴いてるのは11月18日(土)なんですが、収録日は17日(金)なんですよね。と言うことは、今から20年前の2003年11月17日(月)にね「くも膜下出血」で死んじゃったんだけどさ。そうだね、同じ月の11月5日(水)13時~札幌のタスコ事務所で部門会議をやっていた最中にメモを渡されたんだよね。それで、高田専務も会議に居たので直ぐに東京へ行きなと言うか行きますということで東京へね。様子が分からないので、2,3日行くようにいったん家に帰って着替えなどを準備して、近くの北海道神宮でお祈りとお守りを買って新千歳空港へ向かったよね。まぁ、闘病の甲斐もなくさっきも行ったけど2003年平成15年11月17日に満32歳だったね。12月6日が誕生日だったんだよね。

あたくしが、当時37歳になったばかりだから「4歳しか離れてなかったんだんだな~」と今にして思いますね。。そう考えると、あの頃の業態とか部門や店舗などを引っ張って言ってたのって30代が中心だったからパワーもエネルギーもあったんだろうな。そんな、カンカンに熱かった時代に見て育ったのが“祥子”ね。今いる人間で身近なら、「細B、つねちー、中川や瀬口も」も一緒の時期だもんね。その“祥子”も“荒城堅治”には可愛がられたからね。

そうだ、余談だけど、この前15日の祥子の命日に“てまひま”で尚吾とお母さんと弟さんとおごじょの常連さんとでしのんだよね。で、余談の余談だけど“ひなちゃん”がわざわざ弟さんをまるふじにつねちーに会わせたくて連れて来た時に、“祥子”が高校生の時に飲食店、多分とんかつ屋さんでバイトしてるのを見て、凄く明るく笑顔で楽しそうに仕事してたことをお母さんに言ったんだって。まぁ、いつもの“祥子”だよね。そしたら、お母さん「外面いいから飲食店向いてるかもねー」って言ってたってね。(笑)

話を戻すけど、月一に会議で東京へ行く時にちょうど“祥子”も休みで東京のお友達に会いに行ってて、「なら、“堅治”たちと店をまわるか?」となり待ち合わせして行ってね。なんだか、いつも札幌で朝まで仕事したり飲んでたメンバーが今ではこうして活動諸点を移してる“堅治”やらとで札幌と変わらないノリで飲んでるのが楽しくも不思議な感じだったな~と。そんな、一周忌と20年の時が経った「祥子と堅治」の話でした。

追記 そう、今の「欽ちゃん本店の”忍”」と同じ世代の勢いが凄かった。

と言うことで、本日は「丸かの今夜もひとりバックドロップ!!」の収録日です。(14時からね)

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