欽ちゃん本店
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子供たちに人気の商店ベスト3!!

  • 2017/10/01 00:38

西芦別商店街で子供たちの人気店はT字路の所にあった
”葛西商店さん”です。ここは、テレビゲームもあり、また色々とお菓子や
ペプシやミリンダやパティオなどのジュース類も豊富で、王冠をめくると
10円や50円、最高は100円が当たるのやら、スーパーカーの王冠など
もありました。
お菓子も豊富で普通のお菓子から駄菓子に至るまで色々とあるし、
くじ引き等もあり、誰か彼か居るので子供としては楽しい遊び場でした。
 
他には”伊藤商店さん”はプラモデルやおもちゃが置いてあり、ここも
お菓子なども置いてあったので、そこそこの人気店でしたが、いかせん
おばさんがいつも機嫌が悪く、子供心にも敬遠気味でした。(笑)
 
あと文房具と言えば”池下商店”で、ここは北海道新聞も配っていたので
中学生になってからはそこでバイトをしていました。
 
一応、配給所と言う昔の名残(なごり)で読んでいた”さんほく商事”もあり、
ここは先ほどの3店舗プラス食品などや生活雑貨も置いてあるスーパー的な
存在で主婦の方達で賑わっていましたね。
 
現在札幌で住んでいる身としては「よくもまぁ、あれでも不自由なく暮らして
いたもんだな~」と思いますが、考えてみると今現在も近くにコンビニ一つ
あれば事足りるので、あれはあれで充分でした。
 
私が小中学生の頃でも人口が少なくなっていましたけど、それなりに
商店街も賑わっていたので、昭和20年代や30年頃の西芦別商店街は
相当賑わっていたことでしょうね。
 
私は、4歳頃に西芦別に来たので昭和45年頃ですが、労働組合から商店街に
入って右側の辺りに「屋内つり堀場」があったっと思います。”おやじ”と一緒に行った
時に魚を釣ったおじさんがそのまま釣堀の中に落ちていました。(笑)
 
学校帰り、夏休みのプールへの行き帰りに飲んだペプシやミリンダなどを
ラッパ飲みで飲んだ味と光景は今でも想い出のあと・・・・・。

学生服とセーラー服と、衣替え。

  • 2017/09/01 00:11

先日、街を歩いていると先生に引率された夏のセーラー服の女子中生の 

グループを見て、なんだか新鮮な思いになりました。 

 

私たちの地域の制服は学生服とセーラー服で、札幌へ来てお客さんに聞くと

以外とブレザーとか私服と言う人も居て、一瞬「いいな~、まさに都会ぽいよね!」

と思いましたが、考えてみると「ブレザーや私服って何時でも着れるけど、

学生服やセーラー服って一定の時期にしか着れないよな」と思い、そう思えば

中高と男子は学生服で女子はセーラー服で良かったとつくづく思います。

 

で、もう卒業して学生服を着なくなって33年になるし、当然身近で女子の

セーラー服姿も見ないので、先日女子中生の夏の制服集団を見て、

「はて?衣替えっていつだったかな?」と、別に真剣な問題ではないのですが、

偏屈な所のある私としては、気になるとどうしても考えてしまうんですよね。

 

そう考えると、「男子って夏は学生服の代わりになんだっけ?」と、自分の

学生の頃を思い返すのですが、思い出せません。これでも記憶力には自信が

あったのですが、四十を超えた辺りから急激に記憶力が低下してしまい、

四半世紀以上の事はとても難しいです。まぁ、アルコールのせいもありますが。

 

ネットで問題解決をしようと思いだしましたが、次回同級生と飲んだ時にでも

想い出話のネタにした方が盛り上がると思いまして、その時まで取って置きます。

(結局、飲んだ翌日には忘れていますけど)

 

今大人になって思うのは、学生服やセーラー服って変に格好をつけて、短くしたり

長くしたり、前ボタンを開けたり、カラーをしなかったりするよりも、きちんと着用

した方が清潔感もあるし、何よりもそっちの方が格好いいと。

 

もし、今の感覚で学生服を着たとしたら、周りはつっぱった格好などをして

いても、私は「ビシッ!」と着こなしますね!! そっちの方が新鮮だし清家感も

あり、逆に目立ってモテそうですから。(笑)

 

学生帽?

中々難しい判断ですね。(笑)

 

やっぱりこんなのよりも(学生服屋さんのモデルさんですので)

 

こっちの方が絶対にいいですよね!(実物はこんなに爽やかでないですけど)

必要なことは遊びながら学びました。

  • 2017/08/01 00:56

西芦のクワガタ採りに行くとしたら(まぁ、その辺の山にも居ましたが)、 

ズリ山と言うか、何て言ったかそのズリ山の上の方に、坂道と短いトンネル

を二つほど超えて行くと、原っぱとあまり背の高くない木々があり、そこが

クワガタ採りの場所でした。

使わなくなったレールが積んでいたので、きっとその昔、炭鉱からトロッコか

何かで石炭を運んでいたんだと思います。

 

一度、小学生の頃に友達のやまちゃんとそこへクワガタ採りへ行った時に

木の板を踏んだらその板が付いて来たので、「あれ、おかしいな?」と思い

もう片方の足で板を踏んづけて抜くと、五寸釘が・・・・・。

 

慌てて、靴を脱ぐと靴下に血がにじんでいました。

これまた、慌てて靴下を恐る恐る脱ぐと、そんなに血が出てはいないのですが

五寸釘の穴と言うか刺さった痕の傷が付いていました。

 

一緒に居たやまちゃんが「こういう時は石でその傷口を叩けば血が止まるから」

と言いながら、その辺で適当な硬い石を拾って来てくれて、傷口をトントンと

叩いてくれました。

今から思うと、それが正しかったのかどうかは分りませんが、別に痛くもなく

せっかくだからとその動作を見守っていました。

 

その件があったのと、午後からおうふくろとバスで芦別へ買い物へ行く予定が

あったので、クワガタ採りは終了。

 

で、芦別バスターミナル(ん?ターミナルで待ち合わせたのかな?)で、私が

少し足を引きずっているのに気付いたので、簡単に事を説明して「やまちゃん

が石で叩くと血が止まると言っていたから叩いてもらった」などと話した記憶が

あります。

 

それから、そのような瓦礫や板などがある場所は気をつけて歩くように

なったので、良い学習になりました。

石で叩くことも。(笑)

 

追記 一度、じいさんとそこへ行くとクワガタを採る直ぐ近くに長いトンネルも

あったんですが、そこは長いので怖くて入れませんでした。しかし、じいさん

一人で入って行き、不安げに帰りを待っていると棒きれをトンネルに打ち付けながら

帰って来たので、「どうしてトンネルを叩いてたの?」と聞くと、「クマよけ」と。

 

今から思うと、よくクマに出会わなかったと思います。友だちと、「もしクマが出たら

クマは下りは苦手だから坂を下って逃げよう!!」などと事前に打ち合わせなどを

していましたっけ。(笑)

 

こうやって遊びながら色々なことを学んだんですね。。。。。

早すぎる夏を迎えて・・・・・。

  • 2017/07/01 00:57

今年の夏はいつもより早く来ました。 

小さい頃や青年時代には、こんなにも一年や月日が早くに過ぎるなんて

考えたこともありませんでした。

 

社会へ出て、仕事の厳しさや上司や先輩からの仕事や人生の教えや、

酒の味、人の情けや恋愛や失恋、結婚と離婚の楽しさと辛さ。

そして、じいさん、ばあさんの死から始まって親や兄弟の病気や死。気が付けば、

結婚式よりも葬式の方が多くなって来ました・・・・・。

 

緑の山間、青空の中のとんぼの群れ、グランドから聞こえる掛け声や

昼を知らせるけたたましいサイレンの音を普通に、ごく普通に見て聞いて育ち

じいさんも、ばあさんも、親戚のおじさんもおざさんも、兄弟も親も、まさか死ぬ

なんてことを考えてもいなく、考えることさしないほど責任もなく楽しい日々を

過ごして居たあの頃がどうしようもなく懐かしくなると同時に切なくなります。

 

「しょうがない、これも人生」と自分に言い聞かせては見るけど、

記憶の中の故郷と想いでに、時には悲しくなる時があります。。。。。

 

どうして子ども頃のひこうき雲は美しく見えたんだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=9HInQDjCCRc

やっぱ、こっちの方がいいですね。(笑)


炭坑(鉱)マンと言う言葉の響き・・・・・。

  • 2017/06/01 00:04
先日、同級生のお父さんが亡くなり、偲ぶ会(お通夜)へ行きました。
そこで、生前の履歴などを聞いていて「炭坑(鉱)マンとして働きながら、
ご家族を育て守りました。」と言う言葉を聞いた瞬間に、何とも言えない
懐かしさと哀しみが込み上げて来ました。
また、近くには同じ西芦で同じ”炭坑(鉱)マン”を親に持つ同級生が
いましたが、お互いに顔を見合わせたり言葉に出したわけではないですが、
一体感と言うか絆も感じた次第です。
 
同級生のお父さんは炭鉱生活と定年後もトンネル工事に従事して
家族を守って来たのです。何時の頃からか職業病でもある「じん肺」に
なったと言うことです。あたくしの”親父”も同じ病気に掛かり、早期定年で
家にいた”親父”に反抗期の私は「仕事もしないで家でゴロゴロしやがって!」
と、本気ではないのですが、つい「カッ!」となった光景も思いだしました。
 
私にとって、「炭坑(鉱)マン」と言う響きは自分自身のルーツであり、
とても誇り高い言葉です・・・・・。
筋肉隆々
もし、出来ることなら、”あの頃の故郷”を迎えに行きたい今日この頃です。。。。。
 
あっ、偲ぶ会で「お父様は”サム・テイラーが好きで・・・・・」とも言っていて、
そう言えば、私の”親父”も”サム・テイラー”が好きで、当時は高かった
カジタ電気店で買った”ビクター”の大きなステレオで聴いていましたっけ。。。。。

右へ行くか 左へ行くか・・・・・。

  • 2017/05/01 00:01

西芦の東一条五丁目の炭住から右へ行き、二条通へ行くパターンと、
家が九号四舎だったので、左横のすぐ小路を抜けるパターンがあります。

 
右の二条通へは小学生までは幼稚園や小学校と炭山川やクラブローンなどへ。
左の一条通側は商店街やお祭り、芦別へ行くために良く使っていました。
不思議と、真っ直ぐ上には行く機会があまりなかったです。オヤジが帰ってくる
時に一条通りまで迎えに行くか、冬にミニスキーのジャンプ台を作って遊んだ
くらいです。(土手下の原っぱでははキリギリスやバッタが沢山いました)
 
しかもなぜか?自転車を乗っている記憶の方が強いです。
炭住と炭住の間には下水があり、そこに小便をしたりクラッカーなどを放り込んで
遊んでもいましたね。(笑)
 
先日、久々に同級生が集まりました。
どうして、同級生って近況を語り合ってもあんなに盛り上がるのでしょうね?
それは、やはり記憶の中に同じ景色を共有したからなのでしょうか。
 
学校から帰ってきて、自転車で左へ行き西芦別商店街の田辺さんで「さし(うじ)」を
買い、釣竿を持って今度は右へ行き炭山川へ。
外勤前で草野球をやると言えば、自転車を左へ向けて器用にスポークに野球ボールを
挟めて、バットも上手く後ろの席に括り付けて・・・・・。

 
私の中の景色はいつも眩しいくらいに太陽が照りつけています。。。。。

先日集まり(炭鉱ホルモン 欽ちゃんにて)

春の息吹は子供たち息吹そのもの・・・・・。

  • 2017/04/01 00:14
いつもこの時期になると”松山千春さん”の「良生とポブラ並木」の曲を
口ずさんでしまいます。あれは、千春さんの同級生との歌を四季を通して
歌ったんですけど、なぜか?「春は細道~♪」のイメージが強くてこの時期に
思い出すのです。
 
そう、芦別市西芦別の四季は同級生との思いででいっぱいです!
春は春で、初夏は初夏で、夏は夏で、初秋は初秋で、冬は冬で・・・・・。
 
皆、それぞれに元気いっぱいに子供たちの声が聞こえていました。
お母さんから怒られてながらも親子げんかしている声、帰り道で何時まで
経っても「バイ!」「バイ!」「バイ!」「バ~イ!!」「バ~~イ!!」などとの声。
また、グランドを通ると野球少年たちの「コェ~、コェ~、コェ~!!」や
公園では砂遊びをしながらお父さんお母さんごっこをしている声・・・・・。
 
春の息吹はそんな子供たちの四季の始まりです。
そして、ちょっとだけ大人になって行く時期でもありました。
 
もう、そんな故郷では子供たちの声は聞こえません。。。。

それぞれの道へ、そして・・・・・。

  • 2017/03/01 00:39
3月は様々な思いで卒業して行きます。
中学を出て専門学校や芦別以外の高校へ行く人や就職をする人と、
それぞれの道へ進みます。
 
昨年、5年ぶりに中学の同窓会を行いました。
中学を卒業して以来会ってなかった、話していなかった友だちとも
会えて本当に懐かしかったです。
 
その前は、昨年の同窓会の5年前でした。
その時は男子が多くて、しかもどちらかと言うと”ヤンチャ”な方の。(笑)
今回は女子が多く、しかも山の手や桂沢などと言った職員住宅の友だち
が多く来たのが特徴的でした。前回、前々回と仕事で来れなかった”ちくん”
には残念な結果になってしまいましたが、次回ということで。(笑)
 
でも、まだまだ連絡の取れない友だちがいます。
また、連絡先は分るけど返信の来ない人もいます。
幹事や連絡を取る人はへこみます。が、きっと様々な理由があるんです。
 
一番気になっているのは、意地悪をしたり苛めたりした友だち(向こうは
思ってないかも知れないけど)、その人たちは何をしているんだろう?と。
少し怖いけど、その人たちが来たら正直に「あの時はすまなかった!」と
一言謝りたいです、会えれば。
 
5年置きだったので次回は2021年の年になるのかな?
何らかを企画してもう少し早くやれればいいけど。
 
会えた皆はここまで来るのに色々と合ったと思いますが、皆良い顔を
していました。同級生は利害関係もなく、未だにあだ名で呼びあえるので
それまでの事などがいっぺんにふっとんで”あの頃”に戻れるんですよね。
 
元気なうちに、変な話し無事な内に会えるだけ会っておきたいですね。。。。。
 
2011年10月9日(祝) 2016年10月9日(祝)
これ後で知ったんですが、偶然にどちらも同じ月日の同窓会でした。(笑)

手ぬぐい剣と新発見。

  • 2017/02/01 00:28

最近、テレビで観光客の人がタオルを振ってコチコチになっているのを
楽しんでいますず。ジーンズをも凍らせて穿いている形にしたりもしていました。
 
私の小さい時は普通に日常的な光景で、風呂帰りはいつも手ぬぐいを
グルグルと回して、剣を作り一緒に帰る兄貴とふざけておりました。
まぁ、一、二度振り回して体に当てると根元から「グニャ」と折れてしまいますが。
 
先日、西芦別の同学年と一つ上の先輩とで新年会をしたのですが、
その時の一人が「俺は、お前の兄貴にいつも苛められていたから風呂に
行くのもいつも緊張していたんだ。で、良い事を想いついたのが”芦山荘(ろざんそう)”
の風呂なのよ!!」と。
 
私初めて聞きました、”芦山荘”に行って風呂に入れるなんて。
”芦山荘”と行ったら結婚式や何かの集会で、一度「巨人VS大洋」の二軍の試合が
あった時に巨人の選手が宿泊した施設位にしか記憶がありません。
そこに風呂があり、そこへ入りに行っていたなんて初耳で、中々の”西芦通”の
”高山さん”も「へ~、風呂に入れたんだ!!」と驚いていました。
 
まぁ、狭いコミニュティーなので上下関係で何かあるとかなり死活問題でも
あるので、そのように工夫や努力をして身を守っていたんですよね、それぞれが。
 
もう当時の面影のない”西芦別”ですが、寒い冬の日の想い出はいつまでも
目映い記憶の中にあります。。。。。

大晦日と正月。

  • 2017/01/01 00:43
大晦日と正月はお年玉をもらえるのありますが、それ以上に夜更かしをしても怒られ
ないので子供としては非常に楽しい時間でしたね。
家でも、除夜の鐘がなると家族なのに妙にかしこまって「あけましておめでとうございます」
などと、言っちゃんですからね。(笑)
 
また、中学生の頃に友人たちと西芦の神社へ行ったのですが、真夜中に人の行列が
出来ていて、境内にも参拝する人やかがり火の近くでたむろしている人や、甘酒を
振る舞っている人やらで賑わっていて「正月っていいな~」と思った物です。
 
昼間に会うのと夜中、それも深夜に会うのって何だか非日常的でワクワクしますね。
今は(特に都会)24時間、コンビニやらスーパーやら飲食店もあり、深夜でも
普通に明るく人もいるので大したワクワクもしないですが、田舎なので外灯もそこまで
明るくはなく、近くまで来てやっと同級生とかにあって「おーっ!」と妙にはしゃいで
いました。(笑)
 
今は西芦の神社もなくなってしまいました。
一応、まだわずかな人口ですが人は住んでいますし、正月に帰省する人もいます。
皆、大晦日や三が日の参拝はどうしているんでしょうかね?
 
まぁ、ほとんどがお年寄りなのでわざわざ参拝はしないでしょうけど、それでも
こんな所でも「栄枯盛衰」では否めません。もっとも、衰えていくばかりですけど。
 
やっぱり、正月やお盆は大勢の人だかりができ、子供のはしゃぐ声が聞こえる
場所っていいですよね。。。。。
 
あっ、明けましておめでとうございます!!
今年も月に一度ですが炭鉱町の話しを書いていきますので、皆さんも12回ばかり
お付き合いください。
 
今年一年が皆様にとって健康で大切な一年になりますように。。。。。

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