欽ちゃん本店
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初々しい新入生

  • 2021/04/01 00:31

小学生の時も中学生の時も2年生になる頃には、
もう学校に慣れて勝っても分かり、様になってきています。

4月「入学式」
新入生が緊張の面持ちで背の低い順に整列して歩いてきますが、必ず毎年
先頭の男の子が小さくて参列してる父母が「あら~」と微笑ましい
声が上がっておりました。

特に中学生の「入学式」はサイズ的に学生服がブカブカで袖も丈も
長くて大人たちから見たら可愛いのでしょうね。

でも、それが高学年になるに連れ、そして卒業の頃には背も伸びて
居たりして成長を感じます。

子供は環境に順応するのが早くて、一週間もするとクラスメートにも慣れて
満面の笑みではしゃぎまわり先生に叱られていますからね。

そう、今でもあの頃の同級生に会えていることに感謝しています。。。。。

https://www.youtube.com/watch?v=xO_Bi0duiyE

短い春休み

  • 2021/03/01 00:00

3月は卒業シーズンと共に在校生は新学期までの間は“春休み”です。
夏・冬の休みと違い“春休み”は二週間あるかないか。しかも、”春休み“は
プールや魚釣りやクワガタ採りも出来なく、雪も殆どないのでスキーや
ミニスキーなどと言ったウィンタースポーツもしないので、もっぱら
家で遊ぶか、少し早い自転車を漕いでいるかです。
まぁ、中学生や高校生ともなると部活や友達と遊んでいましたが、
小学生の頃は殆ど家に居てプラモデルを作っていましたね。

先生が転勤するのもこの時期です。また、友達もこの時期に転向することも
ありましたが、炭鉱は巷で言うところの職員を除けば3月、9月が異動や
転勤シーズンではなく、急に転向して来て、また急に転向して行くと言うのが
日常茶飯事でありました。今で言うところの“大人の事情”ってことでしょうね。

夏休みや冬休みほど派手でも楽しいこともなかったけど、今にして思えば
“春休み”は、また一つ(一学年)万物の芽生えと同時に、まだまだ子供ながらも
確実に芽生えを、今か今かと待ち遠しく感じる時期でもありました。

「基地」~冬編

  • 2021/02/01 00:30

夏は公園内の敷地で「基地」を作りましたが、冬は家の前の
雪捨て場になってる所で作りました。炭住の通路を挟んだ向えには
石炭小屋が付いた物置があり、犬を飼っている家は犬小屋なんかも
あります。
 
なんせ、これでもか?と言うほど雪が降るので、その分雪かきで
溜まった雪はこんもりとあります。小山のようになっている場所に雪を
固めたり、氷を使って基地内のように作って行きます。そんなに固まって
いない時はズボズボと長靴ごと埋まってしまいますが、時間が経てば
踏まれて足元もいい感じになって行きます。
 
まぁ、いつも一人で遊んでいたので、当然1人何役もやって永遠と
遊んでいましたね。家の中に入るタイミングは、足がかじかんで来た時が
帰るタイミングでした。長靴の中には雪が詰まっているので、その長靴を
脱ぐのが一苦労なんです。手を使っても脱げないし、長靴を前に振っても
中々脱げないので、最後は玄関に手をついて四つんばいになり、長靴を
後ろに蹴るようにやってようやく「スポン!」と脱げるのですが、その時に
雪の塊もドバッ!と出て来て玄関にばら撒かれるんですね。
 
そうしてやっとのことで家に入りストーブの周りに長靴を湯沸かし器の
ふたの上に手袋や靴下を置いて乾かします。ズボンは履いたままストーブで
乾かしますが、段々と湯気が出て来て熱くなって来るんですね。
 
運が悪いとって言うか、二回に一回は”おふくろ”に怒られてましたね。
なぜか?服もズボンもビショビショだからです。(笑)
 
今にして思えば、”おふくろ”も元気だったんだな~と懐かしくなります。。。。。

しゃくるなよ!!

  • 2021/01/01 00:01

 

一条通から炭住長屋に下りてくるちょっとした坂道(10メートル)に 

子供たちはミニジャンプ台を作って、ミニスキーで遊びます。

一番方の炭坑マンが帰って来るのが夕方なので、それまでは殆ど人や

車が通らないし、人が通っても避けてくれますので。

 

で、数人の子供たちが鼻水をぶったらしながら雪を固めて作ります。

そして、いよいよジャンプ台が出来てテレビで見たようにジャンプ競技の

ように「1番、かとうたかし雪印乳業!」と自分で声を出して滑り出して

飛んだ距離を競い合います。

 

でも、時々ジャンプ台が壊れたり着地地点に穴が空くと、壊した本人が

その都度補修をしまた続きをやるのですが、その時にジャンプ台を「しゃくる」

やつが居るので「しゃくるなよ!しゃくるなよ!」と声を掛けます。

 

「しゃくる」とは、飛び立つ所を上向きにすることです。

 

「しゃくる」と、変な飛び方になり一人バックドロップのようになり、背中を

強く打ちつけて息が出来なくなるので「しゃくるなよ!」と叫ぶのですが、

そこは炭坑マンのクソガキどもなので・・・・・。

 

特に楽しみもない町でしたが、それなりに皆で工夫しながら遊んでいました。

でも、不思議です、子供たちは次から次へと色々な遊びを考えていましたね。

雪化粧

  • 2020/12/01 00:17

芦別は盆地で、その奥へ行く山間にある西芦別や中の丘、頼城などは
夏はクソ暑く、冬はクソ寒くしばれる町でした。
 
何かの用事でたまに冬に帰ると、夜は本当に寒い。また、暗く静けさの中に
あるので、余計に寒く、しばれると言う表現が似合います。ふと思います、
「こんなに寒かったっけ?」と。きっと、子供は風の子と言うくらいだから、
今以上に寒かったけど気にしてなかったんでしょうね、きっと。
 
今にして思えば風呂にドライヤーなどと言うハイカラなものはなく、
「よく、濡れたままで家まで帰っていたよな」と自分でも感心します。
風呂から出て2分程で髪の毛は凍ります。それでも、子供たちは手ぬぐいを
ブンブン回しながら凍らし剣に見たてて、はしゃいでいたものです。
 
街灯や月明りに映った雪が深々と落ちて来るのがとても神秘的で好きでした。
しかし、子供たちはそんな情緒的な感情は直ぐに忘れてしまい、「神様のうんこだ!」
と言い、口を開けながら次から次へと落ちて来る雪を夢中に食べたものです。
 
最近、そんなことをやってない以上に、そうやって雪を見てないな~と。。。。。

上の風呂、下の風呂、六丁目の風呂

  • 2020/11/01 00:03

職員や商店街の人たちとは違い、一般の坑夫が住む炭鉱住宅には
風呂がないので、3つある浴場の内の近い風呂へ行きます。
私の場合は1条五丁目だったので三条六丁目にあった風呂へ行っていました。
 
15時から21時位までやっていて、小学生は18時半、中学生は19時半まで
だったと思います。たまに、何時も行く風呂とは違う所へ行くともの凄くアウェーを
感じて、緊張したのを覚えています。あれって、何時も行くホームに違う風呂から
来ると何となくわかるんですよね。そう、何となく人の目を気にするのが。
また、炭鉱の人でない人が来るとこれもそのぎこちなさから分ります。

上の風呂は「じいじとばあば」が老人クラブの管理人で住んでいたので、その道路を挟んだ
目の前にあったのでたまに行くことはありましたが、下の風呂は炭鉱住宅に住んでいた
約十三年間で数回と数えるほどでしたね。
 
そこそこの風呂場の管理人さんや来てる人の特徴がありました。
六丁目の風呂場の管理人さんは、元々は中の丘スキー場の管理人さんが
私が小6か?中1の頃に来ました。不思議なもので、その前の管理人の方が
長かったのに顔を思い出せません。確か、たまにおばさんも座っていたと思います。
そうだ、その中の丘スキー場から来た管理人さんは、同級生の女子からは
「エロ管理人」と呼ばれていましたね。(笑)
 
今は、家に風呂はありますが殆どシャワーで済ませているので、風呂へ入る機会は
温泉に行った時くらいです。そうだ、風呂場には三、四人も入ればいっぱいになる
薬風呂なるものがあり、そこに入ると体がヌルヌルとして子供心に「なんか、体に
良いんだな~」と思ったものです。
 
一体、あれは何を入れていたんだろ・・・・・。

サム・テイラー

  • 2020/10/01 00:36

昔、家にはビクターの大きなステレオがあり、
”おやじ”が良く、ヘッドホンをして聴いていました。
←まさしくこれ。
 
特にお気に入りは”サム・テイラー”と言うテナー・サックス奏者で
日本の歌謡曲や演歌などの曲を録音したLPもあり、子供心にも
「中々、うまいな~」と思ったものです。
 
ビクターと言えば、ビクターの家電製品を買うと首をかしげた犬の
置物が付いて来て、私の家は小さい犬から大きな犬まで八匹?
くらい飾っていましたね。
 
今とは違って情報が極端に少なかった時代に”おやじ”は何処で
「サム・テイラー」を知ったのかな?と思います。すると、1974年の
「第28回NHK紅白歌合戦」にゲスト出演したとあったので、多分、
その時に知って好奇心旺盛だった”おやじ”が関口楽器店へ行き
買ったんだと思います。
 
きっと、関口楽器店に居た双子の店員さんのおねーさんに自慢げに
”サム・テイラー”のレコードをレジカウンターに出したんだろうな~。(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=4vRFMRMMyN8

「基地」~夏編

  • 2020/09/01 00:13

二条六丁目の生活館のあった公園は、その辺に住んでいる子供たちと
隣接している「第二売店」への通り道です。
 
そこの一角に草むらがありまして、そこに友達数人で「基地」を作ろう!
と言うことになり、友達数人とで草を足したりして何とか基地らしくなり、
そこで漫画の本を持ちこんだりして、ウルトラマンの隊員のような口ぶりで
楽しんでいました。
 
ところが、次の日に行って見ると、殆ど壊れていて友だちと「誰かにやられた!」
となりましたが、考えてみると夜中に雨と風が強かったので、きっとそれだった
のかな?と半信半疑でしたが、それを作り直す気になれなくて、そのままでした。
 
けど、ドーム型で中々満足していましたね。
男の子は「基地」と言う言葉に弱いな~と、未だに自分の好きなスペースの
「基地」が欲しいな~と思いますもんね。(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=THR1DS22_j4

お盆と盆踊り

  • 2020/08/01 00:07

8月の夏休みも終盤になると最後のイベントが「盆踊り」。
小さい町でも何ヵ所かに櫓が立ち、ちょうちんが並びます。
小さい時には浴衣を着て下駄をはいて行ったものです。
 
小学生ではTシャツ短パンで友人と連れ立って行き、最後に
鉛筆とノートをもらいました。中には違う列に並んで二回目の
鉛筆とノートをもらっている子もいましたね。(自分もですが)
 
中学になる頃には、ちょうどませて来る年頃なので「盆踊り」で
踊るようなことはしなくて、単純に女の子をからかいに行ったり
その辺を友人たちと自転車に乗って遊んでいました。
 
高校生ともなると「盆踊り」は西芦ではなく、芦別の方へ出かけて
それこそ高校の友だちの家で遊んだり、よく行くマスターの居る
スナックで飲んでいましたね。(笑)
 
子供盆踊りと大人たちが踊る北海盆踊りがあり、芦別へ行くと
千人踊りなんて言う、女性たちが花笠を被って「ここぞ!」と言う
感じで踊っていました。(笑)芦別のメイン通りでもある駅前通りを歩行者天国
にして踊るので中々の迫力です。また、芦別川のほとりで花火大会も
やるのですが、これも小さい時には見に行きましたが大人になると
そんな人混みよりも友だちと遊ぶ方が多くなりました。
 
札幌へ行って、まだ実家が芦別にあった時には札幌の友人と連れ立って帰省し、

盆と正月だけ賑わう繁華街で朝まで飲んでいましたね。

今は芦別市自体も廃れて来ていますし、他の町も過疎化がさらに進み
どんなお盆を過ごしているのでしょうかね。実家もないので、お盆に行くことも
なくなりましたが、今度同窓会でもしようと思っています。。。。。

衣替え。

  • 2020/07/01 00:05
7月になると、男子は学生服から白いワイシャツになり、
女子は黒だか紺だかのセーラー服から夏服の白いセーラー服になって季節を感じたものです。

この時期の楽しみと言えば、白いセーラーからすけて見える背中のゴムバンドでした。
やはり、衣替えと言ったもんで、白と半袖で夏を感じたものでした。

しかし、中には強情にも冬服仕様の男女も居て何だかあつぼったい光景でした。
3年生になると、特に男子はそのまま学ランに前ボタンを全開にしていました。
今、西中時代の先輩と同級生が居る店で飲みながら話していました。(笑)
 
で、そんな子供たちが旅待った駅です。








https://www.youtube.com/watch?v=bVyJDINH3NI

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