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芦別「旨いもの列伝!!」

  • 2018/10/01 00:08

一般的には食欲の秋と言いますけれども、内陸部の中の内陸部の
芦別地方にはこの時期は「かぼちゃ」「じゃがいも」くらいしか地物で
取れるのはほとんどありません!(笑)
新城の「いも」はもの凄く美味しい記憶はありますね。
 
けれど、芦別って実はB級グルメの宝庫でしてそれはそれは中々なもので
今でも十分に通用すると思うんですね。
 
では、順不同で芦別B級「旨い物列伝!!」をば。
・ホルモン・シンタン。  ・赤シャツのラーメン。  ・志のぶ屋のたいやき。  
・たつよし?たつみ?の焼鳥。 ・芦別レジャーランドの鳥串・豚串、おでん。 
・若鳥天狗のとり半身やもも。  ・松屋のトップと醤油ラーメン。 
・三角山の醤油ラーメンも外せない。 ・知る人ぞ知り、知らない人は全くしならない
友歩嶺(ゆうふれ)のカレー。 ・どこだったかのステックパン。  ・西芦ですけど、むらやの
串団子とかき氷も旨い!
えっと、一応ガタタンが芦別の名物になっておりますが、あたくし食べた記憶がないので
何とも言えません。
年代によってあった店が違うので、まだまだ他にも旨いものがあると思いますが、
あたくしはこのくらいですね。
 
そう言えば、数年前に芦別の道の駅に言ったらデカデカと「芦別名物窯焼きピザ」と言う
看板が出ていましたけど、誰が何時から何のために「窯焼きピザ」が名物になったの
でしょうかね?どこかイタリアの地方都市と姉妹提携でもしたのでしょうか?(笑)
 
もし、皆さんもこの「想い出のあとに」を読んで「この店抜けてるぞ!」とかあると思いますが、
それは仲間同士での会話で盛り上がって下さいね!!
 
そうそう、中3の夏休みに友人と2人して松屋へ行き醤油ラーメンとダブルトップを食べに
行ったら、なんと店の方からいつものおばちゃんではなく、めっちゃくちゃ可愛い同じ年位の
女の子が出て来て、二人して急にもじもじした記憶があります・・・・・。(笑)

炭鉱町のささやかな娯楽

  • 2018/09/01 00:05

地方でしかも炭鉱町の日常はこれと言って特別に「何か」が
ある訳ではありません。しいて言えば酔っ払いのおじさんが
わめいているか、子供叱りつけるおばさんやその辺で野球などを
している子供たちの声くらいでしょうか。
 
なので、三井芦別が呼ぶ興行やプロレスやプロ野球の
二軍の試合だとかが来ると小さな町は大騒ぎになります。
まだ、巨人の定岡選手がルーキーの時に大洋の二軍と
倶楽部ローンの下にある西芦別球場へも来たのですから
会社としても頑張っていたと思います。
 
あと、いつ頃からか「アメリカンヨーヨー」とか言うコカコーラや
ファンタン、スプライトなどの柄の入った固いガラス(子供用に
プラスチックもあった)のヨーヨーのミニ大会を三北商事の広場で
やっていました。今でも不思議に思うのが「アメリカンヨーヨー」よ
言いながら来るのは「南米チャンピオン」の方でしたね。(笑)
あまりにも回転ばかりやると摩擦で紐が切れる。
 
その「アメリカンヨーヨー」は大流行して、学校の行き帰りや校内でも
子供たちがやりだして、ついには「通学路や学校でやるのは禁止」
となるほどでした。(でも、持って行っている生徒が殆どでした)
 
「イ・ヌ・ノ・サンポ!!」とか「ブーランコ」と技を繰り広げるたびに
なぜか子供たちは南米チャンピオンの片言の日本語でやるんですね。

 
で、そのアメリカンヨーヨーで気を良くしたコカ・コーラは二匹目のドジョウを
狙って「バンバンボール」なるものを流行らそうとしましたが、これは
「アメリカンヨーヨー」ほどまでは当たりませんでしたが、娯楽は少ないけど
流行には敏感な炭鉱町ではそれなりに流行りました。
ボールと紐が良く切れていました。
 
これもどこだかのチャンピオンだとかが来て片言の日本語で
「テンプラ!」とか技を繰り広げて子供たちがそのままその片言で
技を繰り出すと言う、今思えば完全にギャグですけど、当時は片言も
その技の一つと思っていたので全く違和感なくやっていましたね。(笑)

 
いや~、懐かしいな~・・・・・。

たった一回だけだったけど、キャンプファイヤーはワクワク・ドキドキでした。

  • 2018/08/01 00:03

暑い!マジで暑かった芦別は・・・・・。

がしかし、子供だったので暑いけど遊びの方が夢中だったので

気にしてない。(笑)

 

クワガタも暑すぎると昼は隠れているし、プールは相変わらず行くけど

意外と疲れる。少しの空き地を見つけると手打ち野球やプラスチックの

バットで三角野球。そう、釣りにも行くけど水温が高いので、ウグイも

どことなく活きが悪そう。

 

楽しみは水道水で冷やしたスイカと近所の家庭菜園からトマトなんかを

勝手に取ってきて食べるのが・・・・・。

 

まぁ、暑い中でも楽しみは沢山あったのですが、私の記憶に今でも

残っているのが、小6の時だと思うんですけど夏休みの終わりに西小のグランドで

キャンプはしてないけど、キャンプファイヤーのようにグランドの中央に枕木なんぞを

組んで火を点けて、それを囲み皆でフォークダンスなんぞ踊った事でした。

 

マイムマイムやジェンカやオクラホマ・ミキサーなかを踊りました。

なんでしょうか?運動会で踊るのと違って夜中に燃え盛る火を囲み大勢で

踊るのってとても新鮮でワクワクしました。また、あまり知らない女性(その時は

上級生の女性)と手をつなぐドキドキ感が溜まりませんでしたね。(笑)

 

最後に「燃え~ろよ、燃えろ~よ」なんか合唱して、最後は先生がまだ残って

いる枕木を壊して「オーッ!!」と歓声が上がっていましたね。

 

今度、同級生とやろうかな・・・・・。

炭鉱町の夏と笑顔。

  • 2018/07/01 00:50

いよいよ7月に入りました。
芦別は豊富な山間部なだけあって冬はスキーも盛んでしたが(因みに私は
ボブスレー以外は苦手でした)、やまはり子供たちは圧倒的に”夏”の方が
人気があったように思います。
 
盆地なので確かに暑い!
けど、子供には夏の暑さんて全く気にならなく、汗を掻きながらでも夏休みなんかは
一日中遊んでいたから、男子女子問わず健康的に日焼けしていました。
 
野球、サッカー、釣り、プール、十字架ポン、缶蹴り、手打ち野球、家のまでビニール
プールで遊んだろ、スカイを食べたり、単純に朝から夕方まで自転車を乗ってたりと・・・・・。
また、夜になると各家の前や公園では花火を楽しんでもいましたね。
 
それと何だか”夏”は大人も子供も皆、表情が明るかったような気がします。
第一売店の三北商事が西芦の駅前からボーリング場(その前は映画館)へ移転して、
じいさん、ばあさんが老人ホームの管理人をやっていて近かったのと、学校帰りの通り道
だったので、それまでほとんど第二売店だったのが利用頻度が上がりました。
 
友だちの”島田よしの”と言う子のお母さんがその第一売店に入ると右横にある
食堂で働いており(駅前の時は入って左横)、「”よしの”のお母さん!」と言いながら
醤油ラーメンを食べた記憶があります。(なぜ、叫んだのだろうか?)
 
当時、今のようにビニール袋なんかはなく、各家庭で買い物かごを持って買い物を
していました。で、売店(配給所)ではピンク色の紙をくれてそれを買い物かごの
上に乗せていました。子供心に「何を買ったか見られないようにかな?」と思って
おりました。今にして思えば、それもあるけどゴミ等などが入らないようにとか、
夏の直射日光や雪が入らないようにと言う配慮もあったのかな~と。
 
懐かしいです、お母さんたちが籐製の買い物かごを笑顔で持っていた姿。
自然にエコをしていたんですよね。

おふくろが持っていたのはこれ


 
そう、炭鉱町の短い夏は道行く人々がみんな笑顔でした。。。。。

カエル取り。

  • 2018/06/01 00:00

炭鉱町と言うけあって中々の山間部なので、それなりに動物、昆虫、川魚など。

で、子供なので狩猟に行くわけがないので、もっぱら川でウグイを釣りに行くか、

クワガタかカエルとりや、たまにチョロチョロと流れている山の沢沿いで

ニホンザリガニなんかもとりに行ったりと。

 

他にも、ハチの巣やタニシ、アゲハチョウ、オニヤンマなど主に昆虫ですが

様々なのをとりに行けます。春先はその辺に山菜なんかも採り放題でしたね。

あたくしは山菜などは採りに行ったことはなく、今にして思えば「採っておけば

良かったな~」と思いますが。

 

で、この時期位でしょうか?西小・西中の裏に職員住宅へと行く踏切が

あるのですが、そこに小川がありそこはカエルの宝庫でして私たちはそこで

ツチカエルや卵を取っていましたね。因みにカエルの卵は腸のような感じで

感触的にはスライムのようで気持ちいいんですよね。

これを最初に見た時には「マジか!!」と思いましたが、

何でもチアシードとか言うスーパーフードなんだそうです。(笑)

 

とんぼ網でもいいのですが、男らしくないと思われたくないので小川にめい一杯

股を広げてまたいでカエルを素手で素早く取るんですね。これがカエルも利口で

中々上手く行きません!水面から頭と目をちょっと出しているので、それを取るの

は10回に1回くらいの成功率。しかし、どこにでも天才と言われるが居て、

同級生の今野はとても素早く「カエルとり職人か?」と言うほど上手く取って

いましたね。なので、顔と言うか目がカエルに似ていました。(笑)

 

その今野は自分が上手い事を言いことに中々の上から目線で、「やれ、卵を

素手で持つと死んじゃうからよ!」とか「卵でも死んで白くなってる所は取らないと

伝染するから取らないとな!」だとか、「カエルは・・・・・」と同級生のくせに何かと

うるさいんですね。けど、なぜか?今野の皆従っていると言う感じでしたけど。

 

カエルは目がほとんど360度近く見えるので真正面からとるのは容易でなく、

カエルが水面から頭を出している後ろの方に上手く回って取るのが一番上手く

取れるんですよね。(笑)

おんぶカエルを取るとかなりヒーローです!!

 

それにしても、今から思うとよくカエル取りなんか必死こいてやっていたなよな?

と思いますと。家に持って帰ってきてもおふくろには「気持ち悪いから捨てて来なさい!」

と怒られるし、だって、時にはその小川に足を滑らせたり、またぐ時は勢いで行けますが、

またいだ足を戻す時はまたぐ時以上の勢いが必要で、戻しきれなくて片足がドボン!と。(笑)

 

けど、子供たち特に男子は狩猟のDNAが騒ぐのか?かなり必死になって取って

いましたね。たまに女子も来ていて、それはそれで良い所を見せようと必死でした。(笑)

夢の跡

  • 2018/05/01 00:50

今でも年に一度位は数名のスタッフと一緒に芦別の”三千里”へ行きます。
高速で滝川で降りて、赤平の裏から行った方が道も良く近いのですが、
三笠で降りて山道を通って行きます。
 
理由は頼城(今時期は頼城へ入る前に時間があれば三段滝で”山わさび”を
買う時もあります)を通って中の丘を見渡しながら西芦に入り、まだ一応ある
最後に住んでいた改良住宅7丁目52-2-7を確認し、そのまま小さい時から
お参りしている7丁目のお地蔵さんを拝み、それから桜ヶ丘の霊園へ行きおじさん
のお墓に好きだった焼酎と花を供えるのが三笠から降りて山道を通る目的です。
 
そして、”三千里”でお目当てのホルモン、シンタン、サガリをめいいっぱい堪能し、
帰りは滝川から高速へ乗るのに常磐を抜けて赤平、東滝川、滝川インターから帰路へ。
 
行く度に思うのはやはり炭鉱町の変わり果てた姿です。
頼城はほとんど住宅が無く、中の丘は草が生い茂り、西芦も一部だけに住宅が
集中していて、商店街も学校もなく本当に寂しい限りです。
 
幼少期から思春期を過ごした町からは人間の営みを感じることがありません。
整然と並んでいた炭鉱住宅、グランドからは部活の掛け声、子供たちのはしゃぐ声、
商店街や三北商事で買い物をしている姿、15時前から風呂の前で並んでいるお年寄り、
祭囃子の音色、定期になるサイレン、行も帰りも無口な坑夫たちの波、とんぼ網で
虫を捕まえている子供たち・・・・・。
 
まさに「つわものどもが夢の跡」です。。。。。

大人への芽生え・・・・・。

  • 2018/04/01 00:13

新学期が始まる時期ですけど、西芦別はまだ所々に汚くなった雪の

かたまりが残っており、春の穏やかな香りとは裏腹の季節はずれな

顔をのぞかしています。

 

それまで一緒に小学校に通っていた上級生の見慣れない制服姿を目にし、

何となく違和感を感じながらも大人っぽくも見えました。

 

自分が制服を着る側になると友だちの制服姿が新鮮でしたが、

中にはお下がりでどう考えても体形に合わなくぶかぶかで、特に袖の所は

すぽっりと手が隠れていたりと可笑しかったですね。

また、女子のセーラー服姿を見て今まで特に意識をしていなかったのに、

急に女性を意識しだすようになるのもこの時期でした。(笑)

 

中一の時は木造の旧校舎側で、そこの近くに美術室がありその前で

るっちさをりまゆみの三人がクルクルッとスカートを回転させながら

ヒラヒラとさせて笑い合っていた光景を今でもしっかりと脳裏に焼き付いています。

るっちは頼城からさをりまゆみは中の丘からの三人でした。

 

あれから39年が経ち僕らは52歳になります。既に半世紀を生きました。

考えてみると、あの時の僕らや彼女たちは13歳になるかならないか。

そう、生まれてたった13年しか経っていなかったんですが、中一は紛れもなく

大人への芽生えだったんだなとしみじみと思います。。。。。

https://www.youtube.com/watch?v=n8f_A_ECAPU

それぞれの思惑の”春休み”

  • 2018/03/01 00:36

3月は卒業式以外にとっても大事な行事と言うかなんて言うか
楽しみがあります! そうです、春休みです。
夏休みや冬休みからすると休みは多くないのですが、それでも
二週間近くはありました。
 
季節的にも中途半端で別段何をするってわけではないけど、
それでもまとまった休みは嬉しい。小学生の頃はあまり気にして
居なかったけど、中学生や高校生になると一年ごとの春休みが
それぞれに思惑があって楽しかったですね。
 
1年生から2年生になる時には「あぁ、これで最下級生ではなく
後輩が出来て、ちょっとは偉くなれる!」と言う感じ。
で、今度は2年生から3年生に上がる時は「よし!これで天下だ!!」
と言う、最上級生になる昂揚感。(笑)
 
なので、小学生の頃はプラモを作ったり選抜高校野球などで殆ど家に
居ましたが、中学生からは思春期と言うのもあり、昼夜問わず外で
遊んでいましたね、友人たちと。
夜中に友達と遊ぶのに合図で2階の部屋に小石をぶつけて呼び出すのですが、
ガラッ!と勢いよく窓が開き友達のお父さんに「うるせーぞ!!」と怒鳴られて、
慌てて逃げた想い出があります。単純に部屋を間違えていたんですね。(笑)
だいたい、この頃から少しずつ脇道にそれていく人と真っ直ぐに
進んで行く人に分かれて行きますね。(笑)
 
まだ所々に雪が残って道も悪いんだけど”ふきのとう”などが
力強く芽吹いて来て、時折感じる生温かい風と匂いが好きでした。。。。。

箸が転がっても・・・・・

  • 2018/02/01 00:10

先日、街を歩いていて4、5人の女子中学生が「何がそんなにおかしいの!?」
と思うくらいに笑い合っていました。 で、直ぐに「あぁ、そう言えば俺の同級生の
女子も何の話題何かわからないけど、休み時間のクラスや廊下でよく笑い声が
聞こえて来たな~・・・・・」と思い出しました。
 
そう、これまでこの「想い出のあとに」では私のことや男の友人がほとんどでした。
まぁ、私が女子に人気が無かったので浮いた話もなかったのもありますけど。(笑)
 
で、未だになんであんなにケラケラと笑っていたんだろうか?
よく「箸が転がっても笑う年頃」と言われるからでしょうか。
そこへ行くと男子は「クックックックッ」と押し殺したような感じでした。
まぁ、それはイヤらしいことを話し合っていたからですけどね。(笑)
 
しかし、改めて思春期の女子が屈託なく笑い合っているって微笑ましく
感じるのと同時に、私も10代の頃の女子を思い出して、また、近々みんな集まって
昔話の時に「あん時、何で笑ってた?どんな話題だったのよ?」と聞いています。。。。。

あの日に…

それはそれで楽しみはありました。

  • 2018/01/01 00:28

クリスマス、大晦日、元旦と過ぎてまだまだ冬休み真っ最中です。
しかも、見渡す限りの大雪状態で遊びにも事欠きません!(笑)
唯一の弱点は夜のしばれ具合のみ!
 
どちらかと言うと夏休みの方が断然好きですが、ロングランの休みに
文句は言ってられません。ただ、私は残念ながらスキーも不得手で
スケートなんかはレジャーランドにあった室内でローラーの付いた
スケートを二度ほどやって、2秒も立っていられな状態で敢え無く脱落。
 
そうなんです、私はウィンタースポーツはボブスレーとミニスキーを
たしなむ程度なので、冬はもっぱら家の前の雪山で一人で基地を作って
遊んだり、米袋ソリで遊ぶくらいでした。(笑)
あとはもっぱら家でプラモデルかみかんを一日中食べて、苦しくなって
七転八倒しているとか。(笑)
 
小学校高学年になってようやく同級生の”むら”と三角山へ行けるように
なったのですが、それもボーゲンと言うV字で滑る専門。だいたいが
リフトに乗るのさえおぼつかなく、乗るのがおぼつかないのならばリフト
から降りるのも一苦労でした。なので、3回に一回は必ず降りてから
安定しなく転んでいました。(笑)
 
中学に入っても部活の剣道部はほとんど冬休中の練習はなく、
釧路のおばさんの家で過ごして居ましたね。結局、ウィンタースポーツ
が出来ない道産子の私は何が楽しかったのか?とも思いますが、
それはそれで中々に冬は冬で楽しかったんですよね。
 
思えば、な~んにもなく雪の量と寒さだけは半端なかったけれど、
あの真っ白な光景と晴れた日の風呂帰りの一面きれいな星空は
今でもしっかりとまぶたに焼き付いています。。。。。

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