欽ちゃん本店
欽ちゃん支店

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必要なことは遊びながら学びました。

  • 2017/08/01 00:56

西芦のクワガタ採りに行くとしたら(まぁ、その辺の山にも居ましたが)、 

ズリ山と言うか、何て言ったかそのズリ山の上の方に、坂道と短いトンネル

を二つほど超えて行くと、原っぱとあまり背の高くない木々があり、そこが

クワガタ採りの場所でした。

使わなくなったレールが積んでいたので、きっとその昔、炭鉱からトロッコか

何かで石炭を運んでいたんだと思います。

 

一度、小学生の頃に友達のやまちゃんとそこへクワガタ採りへ行った時に

木の板を踏んだらその板が付いて来たので、「あれ、おかしいな?」と思い

もう片方の足で板を踏んづけて抜くと、五寸釘が・・・・・。

 

慌てて、靴を脱ぐと靴下に血がにじんでいました。

これまた、慌てて靴下を恐る恐る脱ぐと、そんなに血が出てはいないのですが

五寸釘の穴と言うか刺さった痕の傷が付いていました。

 

一緒に居たやまちゃんが「こういう時は石でその傷口を叩けば血が止まるから」

と言いながら、その辺で適当な硬い石を拾って来てくれて、傷口をトントンと

叩いてくれました。

今から思うと、それが正しかったのかどうかは分りませんが、別に痛くもなく

せっかくだからとその動作を見守っていました。

 

その件があったのと、午後からおうふくろとバスで芦別へ買い物へ行く予定が

あったので、クワガタ採りは終了。

 

で、芦別バスターミナル(ん?ターミナルで待ち合わせたのかな?)で、私が

少し足を引きずっているのに気付いたので、簡単に事を説明して「やまちゃん

が石で叩くと血が止まると言っていたから叩いてもらった」などと話した記憶が

あります。

 

それから、そのような瓦礫や板などがある場所は気をつけて歩くように

なったので、良い学習になりました。

石で叩くことも。(笑)

 

追記 一度、じいさんとそこへ行くとクワガタを採る直ぐ近くに長いトンネルも

あったんですが、そこは長いので怖くて入れませんでした。しかし、じいさん

一人で入って行き、不安げに帰りを待っていると棒きれをトンネルに打ち付けながら

帰って来たので、「どうしてトンネルを叩いてたの?」と聞くと、「クマよけ」と。

 

今から思うと、よくクマに出会わなかったと思います。友だちと、「もしクマが出たら

クマは下りは苦手だから坂を下って逃げよう!!」などと事前に打ち合わせなどを

していましたっけ。(笑)

 

こうやって遊びながら色々なことを学んだんですね。。。。。

早すぎる夏を迎えて・・・・・。

  • 2017/07/01 00:57

今年の夏はいつもより早く来ました。 

小さい頃や青年時代には、こんなにも一年や月日が早くに過ぎるなんて

考えたこともありませんでした。

 

社会へ出て、仕事の厳しさや上司や先輩からの仕事や人生の教えや、

酒の味、人の情けや恋愛や失恋、結婚と離婚の楽しさと辛さ。

そして、じいさん、ばあさんの死から始まって親や兄弟の病気や死。気が付けば、

結婚式よりも葬式の方が多くなって来ました・・・・・。

 

緑の山間、青空の中のとんぼの群れ、グランドから聞こえる掛け声や

昼を知らせるけたたましいサイレンの音を普通に、ごく普通に見て聞いて育ち

じいさんも、ばあさんも、親戚のおじさんもおざさんも、兄弟も親も、まさか死ぬ

なんてことを考えてもいなく、考えることさしないほど責任もなく楽しい日々を

過ごして居たあの頃がどうしようもなく懐かしくなると同時に切なくなります。

 

「しょうがない、これも人生」と自分に言い聞かせては見るけど、

記憶の中の故郷と想いでに、時には悲しくなる時があります。。。。。

 

どうして子ども頃のひこうき雲は美しく見えたんだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=9HInQDjCCRc

やっぱ、こっちの方がいいですね。(笑)


炭坑(鉱)マンと言う言葉の響き・・・・・。

  • 2017/06/01 00:04
先日、同級生のお父さんが亡くなり、偲ぶ会(お通夜)へ行きました。
そこで、生前の履歴などを聞いていて「炭坑(鉱)マンとして働きながら、
ご家族を育て守りました。」と言う言葉を聞いた瞬間に、何とも言えない
懐かしさと哀しみが込み上げて来ました。
また、近くには同じ西芦で同じ”炭坑(鉱)マン”を親に持つ同級生が
いましたが、お互いに顔を見合わせたり言葉に出したわけではないですが、
一体感と言うか絆も感じた次第です。
 
同級生のお父さんは炭鉱生活と定年後もトンネル工事に従事して
家族を守って来たのです。何時の頃からか職業病でもある「じん肺」に
なったと言うことです。あたくしの”親父”も同じ病気に掛かり、早期定年で
家にいた”親父”に反抗期の私は「仕事もしないで家でゴロゴロしやがって!」
と、本気ではないのですが、つい「カッ!」となった光景も思いだしました。
 
私にとって、「炭坑(鉱)マン」と言う響きは自分自身のルーツであり、
とても誇り高い言葉です・・・・・。
筋肉隆々
もし、出来ることなら、”あの頃の故郷”を迎えに行きたい今日この頃です。。。。。
 
あっ、偲ぶ会で「お父様は”サム・テイラーが好きで・・・・・」とも言っていて、
そう言えば、私の”親父”も”サム・テイラー”が好きで、当時は高かった
カジタ電気店で買った”ビクター”の大きなステレオで聴いていましたっけ。。。。。

右へ行くか 左へ行くか・・・・・。

  • 2017/05/01 00:01

西芦の東一条五丁目の炭住から右へ行き、二条通へ行くパターンと、
家が九号四舎だったので、左横のすぐ小路を抜けるパターンがあります。

 
右の二条通へは小学生までは幼稚園や小学校と炭山川やクラブローンなどへ。
左の一条通側は商店街やお祭り、芦別へ行くために良く使っていました。
不思議と、真っ直ぐ上には行く機会があまりなかったです。オヤジが帰ってくる
時に一条通りまで迎えに行くか、冬にミニスキーのジャンプ台を作って遊んだ
くらいです。(土手下の原っぱでははキリギリスやバッタが沢山いました)
 
しかもなぜか?自転車を乗っている記憶の方が強いです。
炭住と炭住の間には下水があり、そこに小便をしたりクラッカーなどを放り込んで
遊んでもいましたね。(笑)
 
先日、久々に同級生が集まりました。
どうして、同級生って近況を語り合ってもあんなに盛り上がるのでしょうね?
それは、やはり記憶の中に同じ景色を共有したからなのでしょうか。
 
学校から帰ってきて、自転車で左へ行き西芦別商店街の田辺さんで「さし(うじ)」を
買い、釣竿を持って今度は右へ行き炭山川へ。
外勤前で草野球をやると言えば、自転車を左へ向けて器用にスポークに野球ボールを
挟めて、バットも上手く後ろの席に括り付けて・・・・・。

 
私の中の景色はいつも眩しいくらいに太陽が照りつけています。。。。。

先日集まり(炭鉱ホルモン 欽ちゃんにて)

春の息吹は子供たち息吹そのもの・・・・・。

  • 2017/04/01 00:14
いつもこの時期になると”松山千春さん”の「良生とポブラ並木」の曲を
口ずさんでしまいます。あれは、千春さんの同級生との歌を四季を通して
歌ったんですけど、なぜか?「春は細道~♪」のイメージが強くてこの時期に
思い出すのです。
 
そう、芦別市西芦別の四季は同級生との思いででいっぱいです!
春は春で、初夏は初夏で、夏は夏で、初秋は初秋で、冬は冬で・・・・・。
 
皆、それぞれに元気いっぱいに子供たちの声が聞こえていました。
お母さんから怒られてながらも親子げんかしている声、帰り道で何時まで
経っても「バイ!」「バイ!」「バイ!」「バ~イ!!」「バ~~イ!!」などとの声。
また、グランドを通ると野球少年たちの「コェ~、コェ~、コェ~!!」や
公園では砂遊びをしながらお父さんお母さんごっこをしている声・・・・・。
 
春の息吹はそんな子供たちの四季の始まりです。
そして、ちょっとだけ大人になって行く時期でもありました。
 
もう、そんな故郷では子供たちの声は聞こえません。。。。

それぞれの道へ、そして・・・・・。

  • 2017/03/01 00:39
3月は様々な思いで卒業して行きます。
中学を出て専門学校や芦別以外の高校へ行く人や就職をする人と、
それぞれの道へ進みます。
 
昨年、5年ぶりに中学の同窓会を行いました。
中学を卒業して以来会ってなかった、話していなかった友だちとも
会えて本当に懐かしかったです。
 
その前は、昨年の同窓会の5年前でした。
その時は男子が多くて、しかもどちらかと言うと”ヤンチャ”な方の。(笑)
今回は女子が多く、しかも山の手や桂沢などと言った職員住宅の友だち
が多く来たのが特徴的でした。前回、前々回と仕事で来れなかった”ちくん”
には残念な結果になってしまいましたが、次回ということで。(笑)
 
でも、まだまだ連絡の取れない友だちがいます。
また、連絡先は分るけど返信の来ない人もいます。
幹事や連絡を取る人はへこみます。が、きっと様々な理由があるんです。
 
一番気になっているのは、意地悪をしたり苛めたりした友だち(向こうは
思ってないかも知れないけど)、その人たちは何をしているんだろう?と。
少し怖いけど、その人たちが来たら正直に「あの時はすまなかった!」と
一言謝りたいです、会えれば。
 
5年置きだったので次回は2021年の年になるのかな?
何らかを企画してもう少し早くやれればいいけど。
 
会えた皆はここまで来るのに色々と合ったと思いますが、皆良い顔を
していました。同級生は利害関係もなく、未だにあだ名で呼びあえるので
それまでの事などがいっぺんにふっとんで”あの頃”に戻れるんですよね。
 
元気なうちに、変な話し無事な内に会えるだけ会っておきたいですね。。。。。
 
2011年10月9日(祝) 2016年10月9日(祝)
これ後で知ったんですが、偶然にどちらも同じ月日の同窓会でした。(笑)

手ぬぐい剣と新発見。

  • 2017/02/01 00:28

最近、テレビで観光客の人がタオルを振ってコチコチになっているのを
楽しんでいますず。ジーンズをも凍らせて穿いている形にしたりもしていました。
 
私の小さい時は普通に日常的な光景で、風呂帰りはいつも手ぬぐいを
グルグルと回して、剣を作り一緒に帰る兄貴とふざけておりました。
まぁ、一、二度振り回して体に当てると根元から「グニャ」と折れてしまいますが。
 
先日、西芦別の同学年と一つ上の先輩とで新年会をしたのですが、
その時の一人が「俺は、お前の兄貴にいつも苛められていたから風呂に
行くのもいつも緊張していたんだ。で、良い事を想いついたのが”芦山荘(ろざんそう)”
の風呂なのよ!!」と。
 
私初めて聞きました、”芦山荘”に行って風呂に入れるなんて。
”芦山荘”と行ったら結婚式や何かの集会で、一度「巨人VS大洋」の二軍の試合が
あった時に巨人の選手が宿泊した施設位にしか記憶がありません。
そこに風呂があり、そこへ入りに行っていたなんて初耳で、中々の”西芦通”の
”高山さん”も「へ~、風呂に入れたんだ!!」と驚いていました。
 
まぁ、狭いコミニュティーなので上下関係で何かあるとかなり死活問題でも
あるので、そのように工夫や努力をして身を守っていたんですよね、それぞれが。
 
もう当時の面影のない”西芦別”ですが、寒い冬の日の想い出はいつまでも
目映い記憶の中にあります。。。。。

大晦日と正月。

  • 2017/01/01 00:43
大晦日と正月はお年玉をもらえるのありますが、それ以上に夜更かしをしても怒られ
ないので子供としては非常に楽しい時間でしたね。
家でも、除夜の鐘がなると家族なのに妙にかしこまって「あけましておめでとうございます」
などと、言っちゃんですからね。(笑)
 
また、中学生の頃に友人たちと西芦の神社へ行ったのですが、真夜中に人の行列が
出来ていて、境内にも参拝する人やかがり火の近くでたむろしている人や、甘酒を
振る舞っている人やらで賑わっていて「正月っていいな~」と思った物です。
 
昼間に会うのと夜中、それも深夜に会うのって何だか非日常的でワクワクしますね。
今は(特に都会)24時間、コンビニやらスーパーやら飲食店もあり、深夜でも
普通に明るく人もいるので大したワクワクもしないですが、田舎なので外灯もそこまで
明るくはなく、近くまで来てやっと同級生とかにあって「おーっ!」と妙にはしゃいで
いました。(笑)
 
今は西芦の神社もなくなってしまいました。
一応、まだわずかな人口ですが人は住んでいますし、正月に帰省する人もいます。
皆、大晦日や三が日の参拝はどうしているんでしょうかね?
 
まぁ、ほとんどがお年寄りなのでわざわざ参拝はしないでしょうけど、それでも
こんな所でも「栄枯盛衰」では否めません。もっとも、衰えていくばかりですけど。
 
やっぱり、正月やお盆は大勢の人だかりができ、子供のはしゃぐ声が聞こえる
場所っていいですよね。。。。。
 
あっ、明けましておめでとうございます!!
今年も月に一度ですが炭鉱町の話しを書いていきますので、皆さんも12回ばかり
お付き合いください。
 
今年一年が皆様にとって健康で大切な一年になりますように。。。。。

考えるだけでソワソワしています・・・・・。

  • 2016/12/01 00:14
もうね、この時期になると冬休みの事しか頭にはありません!(笑)
私は高校二年生位まで夏休みや冬休み(時には春休みも)には釧路のおばさんの
所へ行っておりました。まぁ、それも楽しみの一つですが、やっぱり今では入院以外に
中々考えられない長期の休み(勉強しなくて済む)が一番の魅力でしたね。
 
この年齢になれば約一ヶ月も休みがあると逆にすることがなく暇を持て余すし、
それより何よりも「お金」と、いい大人でましてや真面目に働いていれば一緒に毎日
遊んでくれる人を探す自体困難です。(笑)
 
でも今から考えると、子供たちはよくもまぁ飽きずに毎日遊んでいましたね。
スキー、ボブスレー、ミニスキー、雪合戦、かまくらでの基地作りや、家では野球盤や人生ゲーム
にトランプや花札と・・・・・。
 
高校生にもなると、当時は未成年でも合法だった飲酒もでしたね。(なわきゃネーよ)
そう、段々ませて来ると友人の家でクリスマスパーティーや正月は宅飲み(男子校なので男ばっか)
や、知り合いの店に飲みに行ったりなんかもしていました。(毎週、土曜日もだった?)
 
あんなに寒かったのに鼻水なんて全く気にしないで何時間も遊んで
いたのですから、まさに「子供は風の子 元気な子」って本当ですね。
しかも、動き回るから体は熱いくらいでしたからね。唯一、深い雪の中も走り回るので
長靴の中にも雪が入るので足だけは冷たく、家に帰り玄関で雪が詰まった長靴を脱ぐのに
一苦労も二苦労もしたものでした。。。。。
 
って言うことで、夏は夏で遊んで冬も冬で遊びまくっていたということでした。(笑)
 
勉強?いえ、いえ、当時、未成年は勉強してはダメだったような・・・・・。(なわきゃネーって!)

友だち

  • 2016/11/01 00:51
先日、同窓会を行いました。
5年ぶりで、前回は22名で今回は28名になりました。
前回は男子が多かったのですが、今回は女子が多い同窓会でした。
一番楽しみにしていた”ちくん(大内)”は急遽マレーシア出張になり残念だったり、
何度も連絡してるも返事が来なくて参加者リストに入っていなかったのに、
二日くらい前に「返事遅れてゴメンなさい。今さらですが参加させて頂くことは可能ですか?」と”啓ちゃん”から。(笑)
もちろん、大歓迎です。(笑)
 
皆、仕事や家庭とそれぞれに様々な事情がありますからね。
でも、顔を出してくれるだけでも本当に嬉しい限りです。
一次会は”てまいま”で15時からで、二次会は18時から二階の”満福や”で。
仕事で二次会の20時過ぎからの参加者や、翌日の仕事が早いので21時には帰ると言っていたけど、
やっぱり懐かしい顔に会い話をして23時に帰ったりと。(笑)
 
「今回はカラオケはいいよ。どうせ、歌うのは”外山”と進藤君”くらいしかいないから」
という事でしたが、手違いでカラオケを手配していたみたいで、
取りあえず二次会会場の隅っこにおいていたのですが、
盛り上がるにつれていつの間にかカラオケ大宴会!(笑)
「えっ!?”西けん”そんなに上手かったの!?」「まぁ、一応バンドやってたんで」
「聞いてネーし-!!!!(笑)」など・・・・・。
 
前回の同窓会から5年ぶりで、それからちょくちょく会うようになった友だちはいますが
今回、20年ぶり、35年ぶりと言った友だちもいたので、本当に懐かしく楽しかったです。
 
二次会では前回も好評だった、西芦時代の幼少期から幼稚園、西小、西中の画像で
今回はそれプラス、少しづつ疎遠になって行った高校から就職~結婚したりの
ここ最近までの画像に曲を入れて15分ほどのショートフィルムで観ました。
 
後から、そのDVDを送りました。
皆から、「改めてじっくり観たらヤバイ!」とか「夜中に一人で観るもんじゃないよね」
「かー、ありがとう!泣いたわ!!」等といった感想を貰い、
前回が好評だっただけにかなりプレッシャーだったけど、作って良かった~!!と思いました。
15秒ほどのシーンを撮るために往復3時間半と一時間ほど掛けて撮影しに西芦まで行った甲斐がありました。
 
その時に撮ったシーンの一部です。
なんにも無くなってしまいました。
 
せめて、学校でも残っていてくれれば・・・・・。
けれど、こうして同じ想い出を共有できる友だちがいるだけでも本当に幸せです。
次回は、今回来れなかった友だちにも声を掛けて盛り上がりたいと思っています。
 
少しづつ年齢を重ねるごとに、体の衰えや病気にも掛かりやすくなってきますが、
また無事な姿を見たいと思います。。。。。
 
そうそう、今回10月9日に開催したのですが、実は前回も10月9日でした!
全くの偶然で、きっよこの事実を知っているのは今の所、私だけだと思います。
しかも、前回も9日(日)、10(月)と連休の日でした!!
 
西芦の神様のいたずらでしょうか・・・・・?(笑)
ここら西芦の町並みが続いていた
改良住宅群、左が消防で櫓がこんじまりと
青葉公園
数えきれないほど見た家に向かう下り坂
家に近づく風景
家に近づく
旧炭住の一条五丁目から移り、小5の冬から高2の秋頃まで住んでいた住宅
小さい頃にばあさんに連れられてお参りしたお地蔵さん
東頼城もこんな感じに
懐かしい二条通り
西芦の駅
商店街も夢のあと・・・・・
右へ行くと芦別から都会の札幌へ、左は上芦から富良野方面へ
いつも花が飾ってある、西芦を始め炭鉱町への出入り口の証でもある交通安全のお地蔵さん。
一番最後に、先日の同窓会のお礼に35年ぶりに話した女子から手紙を頂きました。
お互いに50歳ですがスヌーピーの絵柄です。(笑)
けど、このスヌーピーの絵柄に懐かしさと温かさを感じました。。。。。

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