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炭鉱町のささやかな娯楽

  • 2018/09/01 00:05

地方でしかも炭鉱町の日常はこれと言って特別に「何か」が
ある訳ではありません。しいて言えば酔っ払いのおじさんが
わめいているか、子供叱りつけるおばさんやその辺で野球などを
している子供たちの声くらいでしょうか。
 
なので、三井芦別が呼ぶ興行やプロレスやプロ野球の
二軍の試合だとかが来ると小さな町は大騒ぎになります。
まだ、巨人の定岡選手がルーキーの時に大洋の二軍と
倶楽部ローンの下にある西芦別球場へも来たのですから
会社としても頑張っていたと思います。
 
あと、いつ頃からか「アメリカンヨーヨー」とか言うコカコーラや
ファンタン、スプライトなどの柄の入った固いガラス(子供用に
プラスチックもあった)のヨーヨーのミニ大会を三北商事の広場で
やっていました。今でも不思議に思うのが「アメリカンヨーヨー」よ
言いながら来るのは「南米チャンピオン」の方でしたね。(笑)
あまりにも回転ばかりやると摩擦で紐が切れる。
 
その「アメリカンヨーヨー」は大流行して、学校の行き帰りや校内でも
子供たちがやりだして、ついには「通学路や学校でやるのは禁止」
となるほどでした。(でも、持って行っている生徒が殆どでした)
 
「イ・ヌ・ノ・サンポ!!」とか「ブーランコ」と技を繰り広げるたびに
なぜか子供たちは南米チャンピオンの片言の日本語でやるんですね。

 
で、そのアメリカンヨーヨーで気を良くしたコカ・コーラは二匹目のドジョウを
狙って「バンバンボール」なるものを流行らそうとしましたが、これは
「アメリカンヨーヨー」ほどまでは当たりませんでしたが、娯楽は少ないけど
流行には敏感な炭鉱町ではそれなりに流行りました。
ボールと紐が良く切れていました。
 
これもどこだかのチャンピオンだとかが来て片言の日本語で
「テンプラ!」とか技を繰り広げて子供たちがそのままその片言で
技を繰り出すと言う、今思えば完全にギャグですけど、当時は片言も
その技の一つと思っていたので全く違和感なくやっていましたね。(笑)

 
いや~、懐かしいな~・・・・・。

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