世代を超えて

西芦別の炭鉱町だけど東1条から7条、そして東1丁目から5丁目、それ以外にも西区などありました。

私の住んでいたのは「東一条5丁目」(その後、改良住宅52-2―7(東7条)へ引っ越し)に住んでいました。

やはり、近くで住んでいるとちょこちょこ見かけるし「炭鉱風呂」も同じ所なので顔見知りに。

先日、一つ上の“高山先輩”がやってるお店に行くと、「かー、これから“かさいさん”が同窓会で来るんだ」と。

その人たちは3つ上なので、中1の時には卒業していて中学では会ってないけど、小さい頃から顔見知りの人もいます。

飲みながら待ってると、“かさいさん”たちが来て、その中にもう40数年ぶりに会った“水戸さん”がおりました。

40数年ぶりだけど、やはり面影はバッチリとあるんですね。(笑)

炭鉱町・炭鉱住宅って近所なのもあるし兄弟姉妹がいるので、どこかで繋がってる。

私には2つ上の“兄貴”がいて、“水戸さん”とは中学の時に同じバスケ部の先輩後輩。
上から“かさいさん”や“水戸さん”、そして“兄貴”、その次が“高山さん”で私と一つずつ離れています。

一瞬にして炭鉱町・炭鉱住宅のあの頃に戻ったとても懐かしい日でした。

左が私、真ん中が“水戸さん”、右が“高山さん”。

素敵な写真です。(笑)

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