今年の1月に一つ上の地元芦別の先輩の奥さんが亡くなりました。
で、先日地元の一つ上と私と同じ年で集まり「激励会」なるものを
行いました。同じ芦別ですが、それぞれ地域が違い一度も同じ学校では
なかった人や、地元では(と言っても、も35年にもなりますが)特に親しかった
訳ではなくても、『芦別』と言う絆が時を経てもこうして集まり仲間を思い
やれるんだな~と思うと感慨深いものを感じた次第です。
当時は皆10代で若く意地や見栄を張ってツッパッテいたのに、今では
50代と言う「いいおっさん」です。(笑) その昔は集まりは集まりでも
結婚式などと、どちらかと言ったら祝いの席でしたがこの歳になると今回の
ように見送る方の集まりが圧倒的に多くなりましたね。
『炭鉱』と言う産業の栄枯盛衰の中で生まれ育ち、今はそんな所で育った
ことなんか素知らぬ顔で札幌の街で生きています。しかし、こうして地元の
人間が集まると『郷愁』に慕っている自分がいました。
1984年(昭和59年)に芦別を離れ、こうして今でも”芦別の絆”を保ち
会えること、会えるようになったことにある意味つくづく年月の重みを
感じます。きっと、それはいくつになってもあの頃に見た街並みや山や川、
三角山や駅前通り、中央バスやバスターミナルなどと言った郷土の景色たちが
それぞれのまぶたの奥に共有されているからなのでしょうね。。。。。