炭住(炭鉱住宅)ではこの時期なると、冬支度を始めます。 まずは窓に外からビニールを張り、冷たい風をシャットアウトの準備です。 今なら2重サッシで防音、防風などというお洒落な窓がありますか、30年以上それも炭住にはそのような物体はありませんでした。 なので、今くらいに少し集めの透明ビニールを張り、春先にはそれを引き剥がします。それが炭住では春が来た合図です。
それと、たくわんを漬けです 。 三北(さんほく)商事で大根や漬物樽などを買い込んでたくわんを漬けます。これは婆さんの役目でした。 両手を真っ赤にして鼻水をすすりながらたくわんを漬けている婆さんの姿が今でも瞼(まぶた)に焼きついています。 兄貴はじいさん子で、あたくしは婆さん子だったので、いつもその様子を見ていたんです。 じいさん、婆さんはあたくしが小学1年生か2年生くらいに老人クラブの管理人なり、そこで暮らし始めたので実質一緒に暮らしたのは7、8年といったところでしょうか。 それでも、西区3丁目にある老人クラブはあたくしの住んでいた東1条5丁目の家からは2丁半ほどでしたし、学校帰りにも 良く寄って行きました。
それと、たくわんを漬けです 。 三北(さんほく)商事で大根や漬物樽などを買い込んでたくわんを漬けます。これは婆さんの役目でした。 両手を真っ赤にして鼻水をすすりながらたくわんを漬けている婆さんの姿が今でも瞼(まぶた)に焼きついています。 兄貴はじいさん子で、あたくしは婆さん子だったので、いつもその様子を見ていたんです。 じいさん、婆さんはあたくしが小学1年生か2年生くらいに老人クラブの管理人なり、そこで暮らし始めたので実質一緒に暮らしたのは7、8年といったところでしょうか。 それでも、西区3丁目にある老人クラブはあたくしの住んでいた東1条5丁目の家からは2丁半ほどでしたし、学校帰りにも 良く寄って行きました。
そして今時期、老人クラブでは”菊”の品評会のようなことをしており、会のおじいさんやおばあさんが作った立派な菊が飾っており、その菊に金・銀・銅などの折り紙が付けておりました。 その時期には、いつもはあたくしを可愛がってくれている婆さんも「たかし、そっちにいったらダメだぞ!」厳しい目つきで言われるのでした。 あたくし的には、その辺の一連の行事が”冬支度”だったんです。。。。。