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あんひとたち。

今日は63回目の終戦記念日です。北京オリンピック
で賑わっている分話題に上らないのと、現政権の人
たちの多くは祖国よりも隣国に配慮をする政治家が
多い為、「靖国神社参拝」も問題になりません。

不思議な国です。祖国を守るために散っていった人
達に対して敬意をはらうどころか、この国の政治家や
一部マスコミ、一般人までもが、二言目には「戦争を
美化するのか」だとか「軍国主義の復活」だとわめきます。

断っておきますが、あたくしは戦争肯定論者ではありま
せん。戦争なんて無い方がいいに決まっている。

今日はこのような話なので、このような話が苦手な方
がいましたら、ここから先はご遠慮して下さいね。

ここに一枚の写真があります。
ファイル 77-1.jpg
昭和20年5月27日に第72振部隊という「神風特別攻撃隊」
で戦死した人達です。真ん中で子犬を抱いているのが荒木幸雄
伍長(17歳2ヶ月)、向かって右が千田孝正伍長(18歳6ヶ月)
、その後ろが高橋峯好伍長(17歳4ヶ月)、向かって左が早川
勉伍長(18歳2ヶ月)、その後ろが高橋要伍長(18歳7ヶ月)
今で言えばみんな高校2年生~3年生です。

このスナップは出撃前日の26日に撮ったものです。この少年達は
”特攻ほがらか部隊”と言って、みんな明るくひょうきんな少年達でした。
中でも千田伍長は歌もうまく慰問に来てくれる村の人びとを逆に
大笑いさせる程でした。(でも、村びとは心の中で泣いていたと)

この”特攻ほがらか部隊”の第72振武隊は、27日鹿児島の万世
基地から飛び立って、敵駆逐艦2隻を捉えて突入をし見事1隻を
大破炎上させました。(17、18歳の少年ですよ)

あたくし「知覧特攻平和記念館」に出張がてら2度行きました。
そこには知覧基地から出撃した1035人の遺影と遺書が展示され
ています。皆、17歳~23歳くらいの人たちです。

その遺書には「親や家族を思う気持ちや故郷のこと」を綴った遺書
がほとんどです。特攻隊で散華したほとんどの人達は、本気で日本が
勝てると思っていなかったけど、自分が死ぬことによって少しでも自分の家
族や故郷、日本が生き延びられればと。

そういう人達が出撃30分位前に車座になって談笑しながら(これから
死に行くのに談笑とは・・・)、「いいか、靖国の大鳥居の入って右側
の2本目の桜の木の下で会おう!」と誓いあったりしたそうです。

このような話もあります。地獄の戦場といわれたニューギニアのウェワク
で六門の高射砲がたった一門になるまで戦った約550名の生存者
はわずか32名。 その生存者の一人で横浜で呉服商を営んでいる
Y元二等兵は、慰霊巡拝団の一員としてウェワクを訪れたとき、いまも
木一本生えていないという高射砲陣地跡で、彼らが最後まで死守した
あの高射砲が一門、天をにらんでいたそうです。
それを見た瞬間、Yさんは赤さびた砲身に抱きついて、「日本へ帰ろう!
みんなのところへ、靖国神社へ行こう!」と声を叫(あ)げて哭(な)いたと
いいます。
その高射砲を、Yさんたちはとうとう靖国神社へ持って帰ってきました。
特攻隊員の命の声が聞こえるより 神坂次郎

そのような人たちの心の拠りどころを無視をして、何が国政か、といいたい。
アーリントン墓地(アメリカ軍の戦没者墓地)や外国の無名戦士の墓に参
拝する閣僚が、自国の靖国神社に参拝しないというのは、戦没者への裏
切りではないですか。 とこの本の著者は語っています。(まったくです)

あたくし達は単にあの人たちを「戦争の犠牲者だ」「かわいそうだね」なんて、
安っぽく他人事のように言えますか?言うにこと書いて「特攻隊は洗脳され
ていたんだ」などと、どうして言えるのでしょうか?昨今の「自爆テロ」とはまったく
次元が違うのです。

トラックに乗り込んだ、少年、成年達は皆一様に微笑です。逆に見送る
子供たちや女学生の方が頭を垂れて泣いています。本当に泣きたいのは
あと二時間あまりで死ぬ彼らなんです。でも、じっと涙をこらえて、笑顔で見送
られて行く、あの微笑は彼らの精一杯のやさしさなんです。残る人たちを悲し
ませなくないという思いやりなんです。 

これほど純粋で神々(こうごう)しい若者を「自爆テロ」扱いですか?洗脳なん
て言葉で片付ける自体あきれるばかりです。もし、この人たちが今の日本を見
たらどう思うでしょうか?17歳~23歳の若者が家族のため日本のため葛藤
のなか覚悟を決めて逝ったのです。

あたくしの立場で本日の「トップギア!」を書くことは、かなりリスクをともないます。
が、しかし、あえて書きたかったのです。せめて終戦記念日の今日くらい「自分達
の代わりに、素晴らしい日本を作って欲しい」と託し逝った人達の悲壮なくらい純粋
な姿を。

最後に先ほどの”特攻ほがらか部隊”の一番明るくてひょうきんで人気者
だった千田伍長を出撃の前日に偶然見かけた女学生がこのように語っています。
(多分、子犬と戯れた後でしょう)

「略~朗(ほが)らかで歌の上手な十九歳の少年航空兵出の人が、出撃の
前の日の夕がた「お母さん、お母さん」と薄ぐらい竹林のなかで、日本刀を振
りまわしていた姿です。 立派でした。あんひとたちは・・・・・」。
今日われ生きてありより神坂次郎

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