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信長の功績。

どうもこんにちは、蒟蒻ゼリーを3ついっぺんに食べても
なんでもありませんでした、かとうです。

本日は、少し今までと違った話をしたいと思います。

えーっと、実はあたくし”歴史”が好きで中でも特に好きなのは
”戦国時代”と言うか安土・桃山時代が好きで、”大河ドラマ”や、
本などをよく読みます。

たまに、面白そうな本だな~と思い買ってじっくりと読むと、
「あれ?これ前にも読んだ?」となり同じ本を買ってしまうこともあるくらいです。

好きな”武将”は「大谷吉継(おおたによしつぐ)」、「蒲生氏郷(がもううじさと)」、
「立花宗茂(たちばなむねしげ)」といった、どちらかというとマイナーなのですが
個人的には好きな”武将”です。(最近は少しメジャーになってきて良かった)

で、本日は”織田信長”の功績についてです。(オイ!)

この”おだっち”はあまりに有名なので、27歳以上の方は名前を聞いたら
すぐに分ると思いますけどね。(27歳以下は、多分、総理大臣!とか言いそうです)

織田信長は尾張の小大名でしたが、大国の「今川義元」を”桶狭間”
で破り、「天下布武(てんかふぶ)」への第一歩を踏み出しました。

一般的なイメージとしては”短気”で、”比叡山の焼き討ち”等による
残忍性の方が強く、信長=怖い人というイメージがあるのではないでしょうか。

しかし、この”織田信長”という人は元は「かぶき者」だけあって、
発想には一種独特の考え方の持ち主で、

第一に、”豊臣秀吉”のように、百姓あがりの身分の低いものでも
実力があれば、どんどん登用してそれに応じて出世もさせました。
今から、約450年以上も前に「成果主義」を行った人なのです。
(だから、成果主義は欧米主義でもなんでもなく”信長主義”なのです)

それと、当時は”兵”はほとんどが農民なので、忙しい時には
農民で、収穫が終えて農閑期になると”兵”として戦に出ていました。

しかし、信長は「アホか、お前ら、そんなことだから、いつまで経っても
隣同士だけで戦をしてんだよ!」と言うことで、”兵農分離”と言う、
農民は農業、兵は戦と言うように役割分担をして、いつでも信長の
好きな時に戦をできるようにしました。(この時代は画期的な事なのです)

次に”楽市楽座”です。
隣国の「美濃国(みののくに)」を領土にした信長は国を活性化する
為に、今まで高い”税金”を払って商売をしなければ行けなかったのを
「この信長の領土では、税金はいらねぇ!だから、思いっきり稼ぎまくれ!!」
と言って、諸国から沢山の商人が集まりかなり活性化しました。
(一説には、信長が来る前から「美濃国」では似たようなことをしていたとか)

そして、あたくしが一番に上げたい功績は、「宗教戦争をやめさせた」事です。
皆さん、よくテレビとかで特に中東で起る紛争を「宗教戦争」と言ったりしますが、
実は、日本も昔はありました、「神様」VS「仏様」、各派の争いとか。
(もっとも、中東は単に「宗教」が原因だけではないのですがね)

「比叡山延暦寺の焼き討ち」、「石山本願寺との11年にも及ぶ戦い」、
「一向宗の殲滅」と、信長は神をも恐れぬ”仏敵”として恐れられ、そして
恨まれました。(信長は自分でも”第六天魔王”と称していたくらいです)

ここまではごく一般的な話ですよね、
実は当時の戦国時代は、「下克上」でもあり、混乱した世の中でしたので、
自分の身は自分で守るのが当たり前でした。
なので、お坊さんはかなり強力に”武装”して、時には村に降りていって
乱暴狼藉を働いたり、”僧兵(ぞうへい)”や”傭兵(ようへい)”として
戦ったりもしておりました。

取りあえず、被害者的な立場にある「比叡山」も、その叡山の僧兵達は
当時新興宗教だった「法華宗」の寺を攻撃して、京都に21ヶ所あった
寺を全て焼き尽くし信徒を大虐殺しましたし(天文法華の乱)、

でも、実はその少し前には「法華宗」は山科(やましな)本願寺を
焼き討ちにしているのです、それで「石山本願寺」は信長に11年間
攻められても持ちこたえた”寺(城?)”を築いたと思うのです。

だから、信長だけが”非道”だとか”宗教弾圧”だと言われるのはおかしいのです。
そればかりか、信長は負けた石山本願寺に「信仰の自由」を約束しています。
ただ、「お前らは坊さんなんだから、信仰を通して人々と交わるのはいいけどよ、
武力を持ち、政治や利権に干渉するのは許さねーぞ!四の五の言わずに
トンチでもしてろ!!はい、セッパ!」としたのです。

ちなみに「比叡山」に対しても”天台宗禁教令”など一切だしていません。

あたくしは先日、「日本の武将列伝」(小学館)井沢元彦著を見て、
恥ずかしながらこの項を読んで初めて知り、かなり衝撃を受けたのです。

ルイス・フロイスとかと言う、怪しさ満点の宣教師がこのようなことを言ってます。
「信長は自分のことを「神」とあがめて、お賽銭をあげよ」と神を冒涜(ぼうとく)する
行為に出たと。

あたくしが、思うに信長は「バッキャロー!、俺様を”第六天魔王”として君臨して
拝(おが)ましておけば、いらんことをする奴らが出てこないだろ。」
との考えだったんではないのでしょうか。(笑)

なんだかんだと言って、”織田信長”は時代を切り開き、それを”秀吉”が
受け継ぎ、そして”徳川家康”の「江戸幕府」へとつなぎ、約100年以上も
続いた戦乱の世を、260年も続かせた平和な国の基礎を作ったのです。


う~ん、やっぱり”織田信長”は凄い!!

「天下布武」=戦のない世の中にする!(でも、武力でだけどね)

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