初めて「アルコールを飲んでるな~」と実感したのは
中学1年か2年生の夏休みか冬休みだったと思う。。。。。
あれから約30年も経ってしまった。
まったく早いもんだよね。
切っ掛けは春・夏・冬休みと行っていた釧路の従兄のお兄さん。
その当時市販で売っていた「チュチュチュチュー」と音を立てながら
ビールを注ぐ「樽生」とか「ジャイアント」と言う取っ手の付いた
ビンビールがあり、それを飲まされた。
思えば、あたくしが大人の階段を上がる切っ掛けは”釧路”だった。
酒も女も飲み屋もそうだし、最近はあまり食べないが大好物の”コマイ”も。
今でも男2人、女2人の従姉弟には「お前達とは(アニキと)兄弟の
ように育った。」と言われる。
その従姉弟の子供たちも今はすっかり成人して、そのまた子供たちが
現在、あたくしが酒を覚えた年齢になっている。
最近はめっきりと釧路へ行かなくなったが、あの釧路駅に着いた時の
潮の香りとホームの混在した珍味くさい臭いが今でも記憶と言うより、
しっかりと鼻先に残っている。
あんなに優しくしてくれた”おばさん”はもう居ない。
一緒に5時間あまり列車に乗った”おやじ”もいない。
一緒に過ごした従姉弟たちは”おばあちゃん”と呼ばれている。
一体、あたくしは何をしてるのだろ~と考える。
そういえば、『森光子』さんにそっくりな末広町にあった「炉端」は
今でもあるのだろうか?
炉端の前に”ちょこん”と座っていた。
当時、60歳前後だったから健在なら90歳。。。。。
手崎さん、あらためて”さんま”ありがとうございました。
かなり旨かったです!さすが圧力をかけただけのシロモノですね。(笑)
釧路からの思いがけないプレゼントを頂き、しかも「炉端」通いしていると
聞いて、なんだか釧路が懐かしくなったので本日は、ちょっとした思い出と
お礼を込めて書いてみました。
お体に気をつけて下さいね!!