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精一杯やってきたらから。

昨日は、タスコ時代の社長の満50歳の誕生会を開きました。

当日は、タスコ創業時から成長期で活躍した懐かしいメンバーも
顔を出し、3次会まで盛り上がりました。

1988年にあたくしが21歳の時に、当事27歳の高田社長に
会いました。ちょうど「オペラ」というお店をオープンに向けての手直しを
カウンターに座り支持を出していました。

あたくしこう見えても「あいつはダメなら三日で辞めさせていいぞ。」と
言われていたみたいですが、何か?

まだススキノでカラオケパブが3店、しかも中心スタッフは10代後半
から、20代中盤の勢いだけの「アパッチ集団」でした。

ふと、なぜあんなに頑張れたんだろ?と、素朴に思うと
何かに飢えていた人間達が、自分が成長できる”可能性”に
出会えたからなんですね。(宝くじで1等前後賞3億円当たったようなもんです)

「こんな俺でもやれば出来るんだ!」という、今まで味わったことのない感情、
そして明確な何かがあったわけではありませんが、漠然とでしたが何の疑いも無く
「社長と、このメンバーとなら、きっと何か良いことが待ってる!」とね。

その当事、よく”ススキノ”の同業者から色々なことを言われました。
そのほとんどは、新参者が成長する過程での”嫉妬や妬み”でした。

しかし、あたくしちはま~ったく気にしてませんでしたし、
何よりも、あたくしたちの一番の関心ごとはお店に来てくれるお客さん達
でしたから、そんなの相手してるほど暇じゃありませんでしたからね。

大体において、当事の”ススキノ”の店舗オーナーの人達は
まだまだ古い慣習のままで、何年か辛抱したら独立をさせて、後は
自分で頑張れよ”バイバイ”的だったので、いつまでたっても飲食店=水商売という
地位に甘んじており、歓楽街でアルコールを扱う分どこか”裏”の仕事的に
見られておりました。

しかし、高田社長は違っていて、
「飲食業で働いている人間の幸福」を常に考えていたのです。
やはり、社長自身も「飲食業」というだけで、世間から蔑まされた経験を
持っていたからこそ、

「飲食業で働く人と、その家族が胸を張って”プライド”の持てる仕事」にしたい、
その為には「飲食業=水商売と言うのではなく”企業”にする!」と。
(当事は結構、この仕事を親に隠したり家族が親戚に隠しているケースがありましたから)

なので、高田社長は会議で事務所で店で、ことあるごとにあたくしたちに
”夢”や”目標”を語ってくれました。

なので、あたくしから見てタスコを批判する経営者の方達を見るに付け、
「何だよ、自分の幸福しか考えなくて、土地やマンションを買って
会社や店を部下に高い金で売って、後は勝手にどうぞ。」と言う、
”人の面倒を見切れない無責任な経営者”に映って見えました。

ぶっちゃけて言うと、薄野で15、6軒ほどやろうとすれば(あの人は余裕です)
今日この時点でもそれなりに成功しています、そして若い経営者や
従業員に「経営のなんたるかを教えて、水戸黄門よろしく」的な
生き方をしていたでしょう、きっと。(非常につまらない)

あっ、別に普通に”ススキノ”でやられている方に言ってるわけでは
ないですし、沢山店舗展開をするのがどうとかではないですよ、
考え方や生き方の違いもありますから、すべてが”善”ではなかったですから。

ただ、「いらんこと言うなよ。」と言うことと、
自分の可能性に挑戦して限界を決めないか、「まぁ、このくらいでいっかな?」
と、自分で限界を決めてしまうかのどちらですからね。

あたくし今でも忘れない言葉を思い出しました。(って、忘れてたじゃん!)
あたくしが”オペラ”の店長時代に、当事29歳くらいの社長が銀行か
何か偉い人達(明らかに社長より年上)三人を遅い時間に連れてきた時に

「いいですか?皆さん、こいつは僕と同じ血が流れているんですよ。」
と言ってくれたことが、とても嬉しかった。

どういうことか口では上手く説明できないけど、感覚的に何を言おうとしているのか
分かったので、その言葉がいつも頭の片隅にあります、今でも。


それから紆余曲折の22年。

その間、あれよあれよと店も増えて、東京へ全国へそして上場、そして現在。
”走馬灯”と言う言葉がありますが、面接の時からのことが正に”走馬灯”のように
そして、どこか心や頭の少し引っ込んだ所で今でも見え隠れしています。。。。。

あたくしは2004年の3月で辞めて、4月21日で6周年になる
「有限会社 丸か加藤商店」をやっています。

22年前、サンスリービル6Fのオペラで初めてのミーティングで
「今年中に店を10軒出す、そして将来は経営者を沢山作るのが俺の目標でも
あり、夢なんだ。」と、言った高田社長の座っていた席と自分の席と、
その様子をはっきりと覚えています。

果たして、
その年に見事に10軒作りましたし。現在、タスコ出身の経営者が、
それは法人だろうと個人だろうと、そんなことは関係なく、全国で自立して頑張っております。

「本当に何も無く、ただ”頑張れば、良いことが待っている!”」と言う思いだけで、
余計なことを考えないで一心不乱に前だけを向いてやっていた。

本当にそのような環境の中で働けたことに感謝します。

これからは、あたくしたちはそれを単に「思い出話し」になんかしないで、
チャレンジ精神”を忘れずに仕事をしていくこと、

また、自分達の今があるように当事経験した環境を作り、
そして部下達を、今の自分もしくは、それ以上の人に出来るように
することが、今までお世話になった人への感謝を伝えることになるんでしょうね。

でも、43歳でまだこんな感じなのに、果たして出来るのだろうか、あたくしが
いや、ちょっと待てよ?ひっよっとして、この22年間は”夢”だったんじゃなかろうか?

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いや、間違いなく現実だった。。。。。


やっぱり聴きたい”この曲”

何故か泣けてくる”この曲”

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