昨日、久しぶりに建築業の先輩と電話で話しをしました。
その先輩とは、よく本州へ一緒に出張へ行っていて
一度行くと、余程の事情が無い限り交代はなく
2~3ヶ月は行っておりました。(7~8人くらいで)
その間は、ほとんど宿舎で寝起きをともにし、
晩御飯が終わると、いつも酒盛りに。
先輩達の新人の頃の話や、まだ会社が始まったばかりの
ことなどを話してもらったり、昼間の仕事で失敗したことや
それを上手くやる為の”コツ”などを、バッチリと酒を飲みながら
話したもんです。(今なら、寝て起きたら忘れてますが、当事は
神経衰弱(しんけいすいじゃく)並の記憶力で覚えてました)
だから「レール班」にいると必然的に先輩達と仲良くなったり、
そのようなことを通して、周りの人たちの人となりも覚えていきました。
「レール班」と言うのは、レールとレールを圧接をする仕事で
今なら北海道に来る予定の新幹線のレールの圧接をしています。
ちなみに札幌では鉄筋と鉄筋の柱筋や梁筋を圧接する仕事で、
札幌市内の大きな建物はほとんどの現場を出入りしていました。
実はその先輩は、あたくしが小学生の頃から可愛がってもらっている
おふくろの友人の娘さんと十数年前に結婚をしたんです。
人の縁って不思議ですよね。
何でも、あたくしが辞めて数年経って、その女性が事務員として
入って来て知り合ったそうです。
なので、数年前までは
たま~に、おふくろの家で一緒に酒を飲み、昔話なんかで盛り上がって
いたもです。
特にその先輩は後輩の面倒見が良くて、仕事も出来たので
あたくしだけでなく他の後輩からも慕われており、結婚を機に
独立をして頑張っておりましたが、
最近、会社を整理して元の会社へ戻ったと昨日の電話で聞きました。
多分、新幹線レールの担当をすると思います。(手伝おうかな?)
「レール班」はお金を使わなくていいし、手当ももらえるので給料的には
いいのですが、特に結婚して小さい子どものいる人や、彼女のいる人達には
人気が無く、
「レール班」で名前が挙がると、かなりショックを受ける人もいましたが、
彼女もいなく、入ったときから「レール班」のあたくしはまったく気にしませんでした。
周りは「かっちゃんもレールばかりで可愛そうだな。」などと言われましたが、
一応、その時はちょっぴり同情を引こうとして
「いえ、これも仕事ですから仕方ないです。」と、うつむき加減に下を見るのですが、
札幌の仕事が嫌なあたくしの心の中は「ラッキー池田!」と叫んでいたのです。
ちなみに、あたくしが居た2年間での「レール班」のすべてにあたくしは
参加しておりました。なので、トータルして1年半は本州での生活だったんです。
そんなこんなの懐かしい先輩と、昨日、久しぶりに電話で話した時、
何故か話しをしながら、一緒に現場で働いていた光景が次々に脳裏に浮かんで来て
ものすごく不思議な感覚に覆われておりました、
26年前、はじめての出張で行った「大宮」の現場を。。。。。