最近、「抑止力」についての議論が取りざたされています。
「抑止力」とは要は力を背景に相手の行動をけん制あるいは
抑制させることです。
今回の問題になっているのは「普天間基地移設」に伴う
アメリカ軍海兵隊が「抑止力」になっているか?いないか?という事です。
まず初めに「抑止力」はあって当然です。
これがないとこの世の中は大小の紛争や戦争で”ボロボロ”に
なってしまいますから。
今日は基地移設問題に関してはあえて書きませんが、
戦後65年間、憲法第9条と特にアメリカ軍という軍事力によって
日本が守られてきたのは言い逃れの出来ない事実です。
もし、アメリカとの間に「日米同盟」がなく、アメリカ軍も駐留していなかったら
間違いなく、このような平和で能天気な生活は保障されていなかったことでしょう。
だいたいにおいて自分の国や国民を充分に守れないような
憲法を維持して、その改正に”反対”をし、きちんと自国の
”安全保障”に関してハッキリとモノを言わないのは(言えないのは)
いかがなものでしょうか?
って言うか「無防備は罪」なんです。
相手につけ入る隙を与えることは、こちら側に問題が大アリです。
「いえ、人間同士なので”話し合えば”きっと分かってくれる筈です。」
などと、乙女のようなことを平気で口にしますが、どこをどう考えたら
そのような能天気な意見がでてくるのでしょうか?
特に膨大な国防費で年々強大化している「中国」に対して、
「話し合えば」などと言っている輩の脳細胞を疑ってしまいます。
先ほども書きましたが「無防備は罪」なのです。
「いいえ、もし攻撃をするようなことがあれば国際社会が黙っていないし、
それに国連が許しません。」と、これまた少女マンガのマーガレットのようなことを言う。
本気?本気でそんなこと言ってんの?
なら、「チベット」は「ウイグル」は「ソマリア」は他にも沢山あるぞ。
その中で、どこまで本気で国際社会や国連が迅速に動いたか?
所詮、対岸の火事なんです。
だからせめて当事者になったら自分のことは自分達で責任を持って
やるのが、まともな”大人”の考えだし行動です。
どの世界でも「抑止力」はあります。
特に力を背景にしている人達は特にそうです。
彼らは、その力を背景にした「抑止力」で均衡を保ったり、
ほどほどの所で手を打つようにして、それ以上拡大しないようにしているのですから。
例えば、戦後の渋谷で”メキメキ”と売り出した新興のある組織がありました。
その組織の賭場では、難癖をつけそうな輩が来ると隣の部屋へ通します。
そこには「自動小銃」やら「拳銃」をズラッと並べたのを見せて、
「これだけの備えがありますから、万が一おかしな奴が来ても大丈夫ですので。」
と、最初にけん制をして戦意喪失を図るといったやり方をしており、
あそこの賭場は安心して遊べると言うので上顧客が付き、その賭場は他の賭場よりも
かなり潤ったといいます。
これが「抑止力」です。
別にそれを使わなくてもいい。
ただし、「もし、一旦何か事が起きれば、俺達は徹底的にやるぞ。
その為にもこれだけの武器もあるんだ。」と、覚悟を見せないと。
それが「話し合いで」とか「国連が」などと言っているようじゃ、
それこそお話しにならない。
社民党の人や評論家が「沖縄にいる海兵隊は、一年の半分以上は
他の地域へ演習で行っているので”抑止力”にはならい。」と言います。
これまた”アオッチョロイ”ことを言っていますが、これも200%間違いです。
例え、常時沖縄にいなくても、「その地域に基地や兵力があるんだ。」
と言うだけで、充分な”抑止力”になっているんです。
例えば、普段店に居なくても、お店のレジのところに名の通った「マル暴」の
人の名刺があるのと無いのとでは、もし難癖を付けられた時にその名刺が
目に入るのとそうでないのではまったく状況が違って来ます。
(また、その逆のパターンもね)
要は普段姿を見せなくても「俺の目の黒い内は、縄張り内で勝手な
ことはさせないぞ。」とね。
もし、本当に「海外へ行け」と言うのなら、日本の安全保障のあり方や
憲法を変えるのとセットで論じないと、油田や領土問題もその他のことも
好き勝手、やり放題で「気が付いたら身ぐるみはがされていました。」
と、なっても時すでに遅しです。
今回のことを踏まえてアメリカ軍だけではなく、今後は”主権国家”として一刻も早く
国防を考える良いチャンスが来たんだと思いますよ。。。。。