何に対して遠慮しているんだろう?
何を躊躇しているのだろう?
何を失うというのか?
あたくしが店長を任せられたのは22歳の時。
今から思うと、ほ~んとうに”ど素人店長”で
数字のことも、人の使い方もぜんぜんわかってなかった。
”マネジメント”やら”損益”やらは、あとの後です。。。。。
とにかく”がむしゃら”だった。
若かったし、ど素人だったし、振りかえる過去なんてなかったから
な~んにも失うものなんてなかった。
毎日、毎日、全て勉強だったんだ。
それは仕事を覚えるとかだけではなく、
これからどう生きていくか? どんな生き様をしていくか?
その為に、日々全てが勉強で、一つも嫌なことだとか
マイナスなことなどなく、本当にすべて自分の為になっていたんだ。
だから、経験がなくとも、知識や知恵がなくとも、
ただ、ただ、前へ、前へと。。。。。
振り返るとか、立ち止まるとか、そんな言葉さえも浮かばなかった。
もし、いま目の前に大きな壁があるとしたら、どうする?と、
よく、自分自身に自答してたけど、決まって答えは同じ。
「拳でぶち壊す」
はしごを掛けてよじ登ったり、横にずれて壁の向うへ行ける箇所を
探そうとか、穴を掘って地中から行こうとか、そんなのは”邪道”だと
めい一杯自分を鼓舞して、そのくらい不器用なほど
「俺は真っ直ぐに壁を乗り越えていくんだ!」と、自分自信に酔っていた。
きっと、今のあたくしが、その当事のあたくしに会ったとしたら、
ただ、目をジッと見て
「うん、頑張れよ。」と、
それ以上の言葉もましてやそれ以下の言葉も掛けられない。
5年後、10年後、20年後にどうなっていようと、
どのように、その思いが変化しようと大体わかっていても、
「うん、頑張れよ。」と。
でもね、その”がむしゃら”に、「自分は何でもできるんだ!」
「俺の辞書に妥協なんて言葉はないんだ!」と、自信満々1000%で、
行き過ぎた言動でやらかしたことも、いっぱいあったけども
若いから、経験がないから、知識がなく、知恵もなく、
振り返る過去もなく、ただ、前を、前だけを見ていたあの当時があったから
今があるんです。
別に今が凄いなんてまったく思っちゃいないけど、
自分の将来に対して”漠然”だったけど、毎日、毎日、何の疑いもなく
200%で日々を送れたことが、本当に良かった。
あたくしは思います、
「お前ら、何を失うんだよ?何を恐れてんの?何に対して遠慮してんだよ?
何を躊躇してんだよ?」って、
若くていっけん元気そうな若者を見て、非常に思うのです。
たかだか、二十歳(20代)やそこらで世間体やら、上司や周りの目、
周囲の評価なんて気にしてちゃダメだ!
「もったいないネーだろ」とね。
先祖代々由緒正しい家柄や、昔でいう”財閥”とかの御曹司ならば
わかるが、失礼かも知んないけど「どんだけですか?」と。
人はみな”羞恥心”や”自尊心”はある。
もちろん、こんなあたくしにも”ちっぽけなプライド”はある。
でも、今はそこん所で立ち止まるわけにはいかんだろ。
今は”あとさき”なんて考えなくてもいいから、
義務感や責任感なんてのもいいから、
この先の人生において、とっても大切な場面や時期なんで、
なんか、もっと、頭で理屈でちっぽけなプライドなんかで考えたり
気にするのではなく、
自分というものを試して欲しい。
だ~れも、あなたの邪魔なんてする人はいなんだから。