初めて給料袋を頂いたのは中1〜中2の時でした。
池下商店で新聞配達の朝刊のアルバイトをした時です。
以前にも書いていましたが、あたくしは運動会が嫌いで
運動会をするくらいならば憧れていた「米国に家出をしよう!」
などと、すっとこどっこいのような事を考えてお金を貯めるために
西芦別ではアルバイトと言えば新聞配達くらいだったので
そうしたのです。
「なぜ?運動会が嫌いだったか?」って?単純に足が遅かったので
”徒競走”がイヤだったからです。あの”うんこ”座りで順番を待って
自分に近づいて来る時と、スタートラインで「ヨーイ!」の掛け声の時は
物凄く緊張した物ものです。
まぁ、走り出したり、走り終えれば「何で、あんなにイヤだったんだろう?」
と安堵感から余裕な気持ちになるのですが、やはり運動会が近づいて
来て練習になるとどうにも憂鬱になるのでした。
その緊張感から逃げ出そうと、「苫小牧〜横浜〜米国」と貨物なんかに
こっそり忍び込み家出を企んでいたのです。今から思えば、どう考えても
そっちの方が緊張するし、かなり危険が危ない状態ですよね。(笑)
で、少しでも資金を貯めるために新聞配達をしたのです。
時給はいくらだったか忘れました。1970年代の話なので、きっと
600円もなかったのかな〜?
まぁ、それでも休まず遅刻もしないで行っていたので、池下商店の
おじさんからは信用されて、配達ではなくおじさんと一緒に車で各地区に
そこの担当者が配達する部数を置いてくる係りになったのです。
あれ、なんて言ったかな〜・・・・・、事務?違うな・・・・・?
忘れましたが、そのようなことをして、急に誰かが休んだらあたくしが
行ったり、来ない人の家に起こしに行ったりしていました。
最初から来ないのならまだいいけど、ギリギリになって休まれると
学校へ行く準備も必要なので非常に迷惑でした。けれども真面目な
”かっちゃん”はキチンと配達するのでした。(あっ、”かっちゃん”って
言うのはあたくしの小・中のあだ名ね)
同級生で”滝口君”と言うそれはそれは不真面目な友人がいまして
その人の紹介で入ったのですが、最初はその滝口君があたくしがやる
仕事をしていて、嫌になったからあたくしに紹介したのです。
この”滝口君”は不真面目+変な人なので、配達する家で犬が
吠えると新聞受けまで行かないで「ポーン!」と新聞を玄関先へ
投げ捨てたり、配達先の牛乳を盗んでは美味しそうに飲んでおりました。
(あたくしも一度だけ1本もらいました。白樺地区の方、ゴメンなさい)
で、初めて給料なるものを頂いた時は、何かこう「俺も大人になった」
みたいな優越感と申しますか、何ていうかとても良い気分でした。
しかも少ないながらちゃんと現金が入っておりました。
いくらだったかな〜、きっと3万〜4万円くらいの間だったと思います。
「チラシ」と言って、月に何度か沢山のチラシを入れる時には時給が
高いのでいつも休みがちな人とか遅刻の多い人も出て来ていました。
それをやると少し給料袋が厚くなる感じがしました。
そう言えば現金支給で思い出したのですが、あたくしが札幌に出てきて
建設業をしていた時にはまだ給料は現金支給でした。出張が多い時
には結構厚くて「働いたな〜!」って言う実感を持ったもんです。
確かに、給料を落としたり盗まれたり、そのまま飲みに行ったりパチンコへ行ったり、
中には奥さんの手元へ届かないう内に借金の返済に消えたりなどと、懐かしくも
笑えない昭和の風景がありましたが、あたくしはどちらかというと、渡す方も
もらう方も”現金支給”が好きです。
薄い時には凹みますけどね・・・・・。(笑)
今日の札幌は20度くらいまで気温が上がるそうです。
いいですね〜これからの北海道は。
新聞配達する時の地図で、これを首からぶら下げていました。
○が付いている所が配る家。
追記 結局、真面目に働き過ぎて辞める切っ掛けをつかめませんでした。(笑)