あたくしの住んでいる斜め前のビルが解体されて
わずか一月半でこのような更地(さらち)になってしまいました。
それを見て思い出したのが2つあります。
それまでここで長い年月働いてきた人や、OBなどの
「諸先輩達はどう思うんだろうな〜」と言う事が一つ。
もう一つは高校からの同級生で同じ系列の建築業に
入った鉄筋屋の”あっき”のこと。
でも、あの見事なまでにな〜んにもなくなった更地を見たら、一言では
表せない様な空虚感になるだろうな〜と。
見るからに築40年近く経っている感じです。
支店と書いてあったのできっと本社は東京あたりではと。
あたくしと同じ「加藤」の社名だったので何となく気になっていました。(笑)
だけど、そのもの自体が無くなるという事はいくら想い出の中に
あると言っても複雑ですよね。
昨年の大震災の宮城県女川町の出身の俳優で歌手でもある
”中村雅俊”さんが「今まであった場所に何もなくなると、記憶の
中からキレイさっぱりと無くなっちゃうんですよ。」と言っていましたが、
確かにあたくしの育った西芦別の様子も炭鉱住宅がある所は
懐かしさを感じますが、一切建物が無くなって原っぱになっている
場所を見ても実感がわかないんですよね〜。
後者の”あっき”の件は、以前”あっき”が系列会社を辞めて違う
鉄筋屋へ行ったので”あっき”を尋ねて寮と書いてある場所へ行くと、
今で言う南1か2の西5,6丁目のビルの1フロアを貸しきり状態!?
そこに同じく一緒に辞めた中卒の”中山”と二人で、カーテンだか
シーツで仕切りを入れたり、洗濯物を干した状態で住んでおりました。
「なんで!?」と普通はなりますよね?
な〜んのことはなく、いよいよ札幌にもバブルの波が押し寄せて
あっちこち様々な事情で不動産が動いていたのです。
つまり二人は鉄筋屋の(非常に怪しい会社)人に言われて、
半ば不法占拠のような形で住まわされていたのです。(笑)
で、何が更地と関係あるのか?といえば、”あっき&中山”はその
非常に怪しい鉄筋屋の仕事で数ヶ月ほど東京の方へ行って
帰って来て自分達の荷物のある、一等地の寮(笑)へ行ってみると
これまた見事なまでの”更地”と貸していたそうです。
その光景を見た”あっき”の一言が「オレのラジオ・・・・・」でした。(笑)
人間、思いも依らない光景に出くわす時の不意の一言って
滑稽だよな〜と思ったものです。。。。。