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また、いつか過ごせる時が来るのかな。。。。。

もう親も芦別を離れて20年近くになります。
札幌へ越してきて東区の栄町の方に住んでいるのですが、
あたくしのとっての実家っていうのは、芦別なんですね。

3歳迄は茂尻に住んでいたので実質高校を卒業するまで
芦別市に住んでいたのは約15年間だったのですが、感受性の豊かな
年頃に過ごしたからだと思います。

3歳から西芦別の炭鉱住宅、17歳で芦別市の団地(8世帯でしたが)。
団地に住んでいたのも1年半なのに、なぜか懐かしい。

まぁ、18歳で社会へ出てから10年くらいは盆と正月、それ以外でも
帰っていたので1年半しか住んでいなかったのに居心地が良かったです。

まぁ、17歳から18歳の時ってまさしく色々とある時期なので、1年半ですが
余程濃かったんでしょうね。それまでは西芦へ帰っても炭鉱風呂へ行って
テレビを見て寝るくらいでしたが、芦別ならばチャリンコでバンバン遊びに
行けましたからね。

今時期ならば甚平を着て下駄を履いてチャリンコへ乗って芦部市内を
颯爽と乗りましわしておりました。しかも、なぜか木刀なんぞを背中に
差して後頭部から木刀の柄が出てるのを気にしながら。(笑)

何にも使わないし、そもそもほとんど知り合いなので使う相手もいないのにね。
その格好で、商業高校の二人乗りしている一つ下の女子を追い抜いては
ゲラゲラと笑われたりもしながらも目けずに一人チャリンコ野郎に徹していました。

そうなんです、皆部活で遅いんです、帰りが。
で、一回家に帰ってご飯を食べてから友人の家に行ったり、飲みに行っていました。
だから、1年半でも芦別市の団地住まいは濃かったんだと思います。

今の栄町の実家にも年に3回~4回は顔を出すのですが、あたくしも札幌
市内に住んでいるので正月以外は実家へは泊りません。

あっ!だから、あまり愛着が無いんですかね?
それプラス、周辺に友達の家もないからね・・・・・。

それでも、おっかあは行くと「お帰り」と言います。
精一杯の息子へ対しての「帰ってくる場所はあるよ」的な思いなのでしょう、きっと。
おっかあ自身が無理にそうしているんだと思います。

もう、幼稚園も小学校も中学校も高校も無く、あたくしの住んでいた炭住は
ほとんど廃墟状態、今では三千里へホルモンを食べに行ったついでに1年半
住んでいた団地へ行き知らない人の表札を見て帰ってくるくらいです。

でも、あたくしの中での故郷の想い出はしっかりと残っています。

そう、掛け替えのない同じ時を過ごした友人達もいます。

明日はそんな友人の一人の”友ちゃん”のお店で15人位が集まります。
皆、少し余裕が出来て来た頃なのでしょうか、「00来たぞ!」と言えば
多少無理してでも、出来るだけ集まる様にしています。

この歳になると、会える時に会っておかないとね。。。。。

明日は少年時代に戻って来ます。

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