新国立競技場問題の建設を巡って混乱していますね。
なにやってんでしょうか?なんでも、建設費が当初の予定を900億円
上回り2500億円に膨らむ見通しで、また、建設費の一部を負担する
ハゲワシ顔の都知事の舛添氏と対立しているだとか。
まぁ、様々な思惑はありますよ。
先進国のレベル及び技術大国日本の誇りや各国からの賞賛、それらに
反して各レベルでの利権争いや確執、また役所特有の分捕り合戦や責任の
なすり合いといったもの・・・・・。
こう言うのを「いい振りこきのシラミたかり」と言うんでしょうかね?
(って言うか、北海道民しかわからない言葉)
その辺の話は当事者に任せることにして、あたくしたちも過去に
同じような失敗をしてきてるので、それらに重ね合わせた話を。
あたくしたちも店を作る時にデザイン会社(プラニング会社などとも)を使い
お店のデザインを造ってもらいます。まぁ、デザイン会社もよりけりでそこは
センスの違いがハッキリと出ます。
得てして、デザイナー又は建築家いう類の人たちはやはりそれなりの専門家で
それなりに美的センスはあります。(それもよりけりですが)
また、結構こだわりがある人も居れば、イエスマンの人も居ます。
こだわりがある人はある人で困ってしまい、自分のこだわり(エゴとも)又は
センスを優先するあまり予算を大きく上回るパターンがよくあります。
で、その結果何が出来るかと言えば、確かに格好良い(これも人から見れば
よりけり)店が出来ますが、これがどうしてほとんどの場合使い勝手が悪い。
それは店側からもそうですがお客さん側から見てもそうなんですね。(笑)
しかも、その後の清掃やメンテナンスもやり難いかいちいち業者さんに頼んで
やってもらわないといけないことになっていて、その度に経費がかさんだりと。
また厄介なのが、例えば電球一つとっても特殊な光源の光を発するものにしたと
したら、その辺では売って居なくていちいち取り寄せないといけなく、その間その部分
だけ電気が点いていない状態だし、特殊なので高い。
で、その内にだらしのない店は「いいっか!ここくらい電気がなくても」とか
経費的に厳しくなると、普通の電球を使い明らかにアンバランスな照明になる事に。
また、ワンマン(あたくしじゃないですよ、あたくしは自分勝手なだけですから)や
単なる思い付き口出し番長がいて、気の弱いイエスマンのデザイナーならば、
どんどん変更に次ぐ変更になってしまい「なんじゃこりゃあ!!」と
なったりしますからね。もしくは、優柔不断イエスマンは「どうしますか?」などと。
こうなると、結局はあたくしのアドバイスでデザインを進めていくしかありません。
「あれ?デザイン料って払う必要あるのか?」ってね。
なので、今は自分でやってます。(笑)
その昔、打ち合わせに来たデザイナーさんは昼でも照明を付けてもうす暗い店内で
グラサン掛けて入って来ました。しかも、妙に声が擦れ声で「ん?どっかで見たな?」
と違和感を感じて、名刺交換をしたら「世良00」と書いておりました!(笑)
そう、その方歌手の「世良公則」の真似っこデザイナーだったんですね。一応、薄暗い
店内でグラサンを掛け店内を見回して「わかりました」と言って帰っていき、
音信不通・・・・・。(一体、なんだったんのでしょうか?)
何を言いたいかと言うと、デザイナー任せの店は絶対にダメ!だと言うこと。
別にデザインや専門的な知識はわからなくても、自分の思いと予算を伝えて
そこでじっくりとデザイナーと打ち合わせをして、いざ工事が始まるとちょくちょく
現場へ赴き、「あれ?言っていたこと(図面など)と違うな?」と思えば、その場で
デザイナーさんに話し確認を取らないといけません。
今回の新国立競技場も役所や専門家がしっかりと自分たちの思いと予算を伝えて
競技をする側と観客が使いやすいものを日本らしく作れば良かったんですね。
デサイナー(ましてや世界的に有名な)は、そりゃあ自分の名声や自尊心のために
それこそ「素晴らしい!」言われたいので、予算なんて関係なくデザイン優先で
行きますよ。そこを、自分たちの思いとイメージ・予算に合うように折り合いをつける
のが発注者の最大の仕事です。
って言うか、そもそも根こそぎ国立競技場を作り替えることがあったんでしょうか?
せっかく、東京オリンピックも行い数々の名勝負や歴史のある建物なので、
500億円くらいでリニュアル工事でいけたんじゃないのか?その方がきっと
愛着を持てるし、なんせ2回も同じ建物でオリンピックを開催したなんて素敵じゃ
ないですか!!そう思いませんか!?
追記 経験値から、①デザイナーが店をやるのではないし、ましてやデザイナーが
業績の責任を取ってくれる訳ではないので任せきりにしない。
②なので、自分がどんな思いで店をやりたいのか?を伝えきる、予算と。
③ただ、最初からギスギスの縛るのではなく、ある程度デザイナーの感性に任せて
そこから詰めていく。