人間、少しばかり長く生きていると疑い深くなると言うか何というかね・・・・・。
例えば、非常識な人が全体の数パーセントなだけで、他のほとんどの
人たちは常識的な人なのに、どうしても嫌な思いが残っていてその非常識な
人に合わせたルールを作ったり、無駄なエネルギーを費やすんですよね。
で、結果、何でもない常識的な人たちのため嫌な思いをさせてしまう。みたいな。
会社でも、皆が働きやすい仕事(職場)にしようと考えたルールや基準が、乱す人を
対象に考えてしまうから、ガチガチで窮屈なものになってしまう。
「このようなことをしてはダメです」「このようなことは罰金の対象になります」とか。
結果、楽しくしようとか仕事の出来る人から見ると渋々な感じになる。
店や観光地でも、たまたま常識のないお客さんが来てそこのルールを守らないで
他のお客さんやスタッフに迷惑をかけてしまい、それに対応しようとして
「私語は厳禁」「子供連れの入店禁止」「食べたら速やかに席を空けて下さい」とルール化してしまうと、
普通に楽しんでくれているお客さんにまで不快な思いをさせてしまうなんて”本末転倒”ですからね。
元々、あたくしは性善説ではなく性悪説な考えが体の三分の二を支配しておりまして、
どうも常識のない人やルールを守らない人に神経質になってしまうんですよね。
で、人の大部分の良い点よりも、数パーセントの悪い点が気になり、そこの部分だけをクローズアップする。
「気をつけよう!」と思いますが、きっとダメで(自分さえも信じてない!)、
「あまり口出しをしないようにしようかなと。」と思っています、ダメだけど。
(どこまでマイナスなんだよ!!)
難しいですよね、乱す人のお蔭でちゃんとしている人がやりずらくなったり
損をしてしまうことの方が”本末転倒”だし、中々自分たちでは言いにくかったり
するので、それを考えたらルール化は”錦の御旗”のようなもので大切だし。。。。。