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あとがき

そもそも俺が本当に、アメリカにこようと思ったのは昨年の夏ごろだと思う。
そして、今年の2月に本当にアメリカへ行くまでに色々な出来事があった。
そもそもは、アメリカへは1ヶ月ではなくて1年~2年位の予定だった
けれど、色々な事情があって結局1ヶ月になった。

1ヶ月の間にアメリカを知るには短すぎるけど、金を使うには
長すぎた。目的は、俺は自分自身をためしかたかった。そして、
色々な人達に会いたかった。前者の結果はどうかわからないけど、
後者のほうはかなり成果があったといってよいと思う。

L・Aにきて本当に色々な人達にあった。もちろん、人種は違う
けれど、みなとてもいい人達だった。もちろん、向こうに住んでいる
日本人の人達にも本当に親切にしてもらった。この場をかりて
深くお礼をいいたい。

古着屋さんを教えてくれて、わざわざ車で案内をしてくれた学生
さん、シェラトンにいる時に色々とお世話をしてくれたベティーちゃん
といっても日本人だ。本当はchikakoさんというけど、俺達はベティー
ちゃんよいっていた。あと、シェラトンの近くに住んでいるKOREAの
おざさん。昔、日本にいて女学校を出たといっていただけあって、
日本語がとても上手だった。

あと、ラスベガス、グランドキャニオンねいったツアーの中にいた
中国・台湾の人達。英語も中国語もわからない中、日本語の出来る
人が少しいてとても助かった。あと、忘れてはいけないのは”Machiko”
さんにりっちゃん。最後の最後まで迷惑を掛けた、本当にみんな
親切にしてくれた。

スティーブやトーマスといった米国人とも友達になった。2人共
日本語がけっこう出来るから、ほとんど日本語話した。

L・Aはアメリカの中でも色々な人種が集まっている所だ。
白人、黒人、メキシカン、スパニッシュ、日本人、韓国人、中国人、
その他のアジアの人達、中近東の人達、本当に色々な人達がいる。

アメリカは何の抵抗もなく受け入れてくれる。人々も何の抵抗もなく
気軽にやっている。だって、そこは自由の苦にアメリカだから、本当に
人々は自由にくらしている事がひしひしとつたわってくる。
みんな、根っから陽気な人達だ。特に黒人は本当に人なつこくて楽しい。

でもその反面、きびしい面もある。アメリカは日本と違って実力主義
だから、やる気のあるものだけがチャンスをつかむことができる。
別に働かなくても誰にも文句一ついわれないし、それはそれで生活
していける。だけど、まだまだ色々な問題がある。

でも、それはそれでなんらかの形でちゃんとやっている。もし、日本が
アメリカと同じ事をやろうと思っても絶対無理だと思う。それは国の広さ
もそうだけど、何よりも物の考えかたが日本とは180℃違うといっていい
だろう。アメリカで2、3年住んで、また日本へ帰ってもすぐアメリカへ
もどってくる人が多いと聞いたけれど、うなずける気がする。

多分、それは本当にこっちで住んだ人にしかわからないと思うけれど、
1ヶ月いただけでもそういう感じがするからね。なんだかんだいって、
あと1時間位で成田につく。

ベティーちゃんがいつか言っていた、結婚するんだったらやっぱり
日本人がいいと。「だって、私も日本人だもん。」といっていたのが
なぜか未だに耳に残っている。

アメリカにきて思ったのは、観光で学生がたくさんきていた。
ちょうど春休みや卒業旅行で。りっちゃんが言っていた、今の日本人
のかっこうを白人が見たらバカだと思うって。俺も同感だ。
みんな同じかっこうをしている、それも白人のまねだ。白人は
というよりアジア系をぬかしての外人はだいたい何を着てもさまに
なるけどアジア系は全然にあわない、外人のまねをした場合ね。

まぁ、中には例外もあるけど、それなのにみんな全然似合わない
かっこうをしてへいぜんと歩いている。俺も含めて、とてもはずかしい
気持になる。これは日本という国全体にいえる。日本という国はどう
あがいてもアメリカにはなれないのだからね。
それは、まねをしても同じだ。だからといって着物とかを着れというん
じゃないけど、もっと自分達にあったやり方という物があると思う。
服装だけじゃなく考え方もけっしてアメリカが正しいんじゃないからね。

確かにアメリカは日本と比べて自由だし、物も安いし、カッコウイイ全てに
おいて。だけど、俺達は生まれついての日本人だという事をもう一度
確認してほしいものだ。それはどうあがいてもアメリカ人にはなれないし、
近づけても根本的に日本人だから。

アメリカはこれからもまだまだ動くでしょう、全てにおいて。だって、パワー
があるから。アメリカから見た日本、日本から見たアメリカ、これを見た
だけでも充分アメリカに来たかいがあったと思う。

最後になるけどずっと日記を書いてきた、L・Aにきて。生まれて初めてだ。
もし、誰かがこれを読んで俺の話を聞きたくなったらいつでも話をして
あげたい。ここに書いた以上におもしろい事が沢山あるから。
簡単だけど、このへんで終わらしてもらう。(充分、長げーし!)

最後に、結こんするんだったら、俺もやっぱり日本人がいい。
だって、俺も日本人だから。

1988.3/13  L・A→東京機内で so long

追記 帰ってきて、まずは”あの子”と話し合いました。(色々あったけど)
当時のパルコの洋食屋さん、ただならぬ雰囲気にオープンキッチンのスタッフと
目が合いながらの話し合い。で、彼女が言いました「かー、このままだと、
益々かーのことが嫌いになる。これ以上、かーのことを嫌いにさせないで。
お願いだから、何年か後に会った時に私が後悔する格好いい男になって欲しいいの。」

この言葉で一気に目が覚めました。横面を思いっきり引っぱたかれた
思いでした。それも、超気持ち良くね。(笑)好きとか、嫌いではなく、単に意地に
なって、自分でも十分に格好悪い自分だと分っていながらもどうしようもできな
かっただけにね。今思えば、あの「私が後悔する格好いい男になって」と言う
言葉が一つの転機になり、今のあたくしに繋がっていると思います。

これで、何の憂いもなく一年待った飲食業に一心不乱に集中することが
出来ました。最初は「あいつ、ダメなら一週間で辞めさせろ」と社長から言われて
いましたが、苦手なことがある度に「ここで、逃げたら、またあんな、格好悪い俺に
戻りたいのか?」と問いかけるだけで、苦手なことも嫌なことも苦にならずにできました。

半年後、「加藤、新店の店長をやんないか?」
よく『言霊(ことだま)』と言いますが、言葉一つで人間の人生が決まることもあります。
もちろん、「一週間で辞めさせろ」と言われながらも、今の自分があるのは当時の
会社や仲間・お客さんのおかげですが。

あれから、28年。なぜ?あの頃を思い出し、日記を引っ張り出したのか・・・・・。
それは決して懐かしいからでもなく、単に「俺は若い時にアメリカに行ったんだぜ!」
と自慢したい訳でもなく、

それはきっと、50歳を目前にして、これからの自分の方向性を見つけたい
見つけなければいけないと思ったんです。

L・Aに行った前後も、それから今までのことも、そしてこれからのことも
あたくし自身が決めた、決めることなんですよね。。。。。
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約一ヵ月間、お付き合い頂き誠にありがとうございました。
来週からは、また元に戻って賛否両論、偏見に満ち溢れた”トップギア!!”を
書いていきますので。(ちょっと、忘れたけど)
ファイル 2416-7.jpgいっく、悪いけど最後はこの曲にするから↓
また、やるさぁ。

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