よく、「感情的になるな」と言いますが、あたくしは逆で「時には感情的に
なれ!」と言います。もっとも、あたくしが一番”感情的”なので、反面教師
となって、「こんな風にならないように」となっているのかも知れませんがね。
辞書では、感情的=理性を失って感情をむきだしにするさま。と書いて
いますが、つーか、そもそも”感情”って「物事に感じて起こる気持ち」と
書いているように、別に悪い事例ばかりで感情的を否定してはいけないと
思いますよ。
そんなに人間って”理性的”に生きていける生き物ですかね?
あたくしは、時には理性が失くしたり、感情が爆発してこそ人間らしいんじゃ
ないのかな?と思うんです。(因みに、あたくしは理性は失くすは、感情は
爆発しまくるはですけどね)
なので、”忍”
たまには”感情”を爆発させてもいいし、思いのたけを周りにぶつけても
良いんじゃないのか。
なんか、そんな真剣で切羽詰って怒りに満ち溢れちゃって、だからこそもの凄く
エネルギー全開で物事にぶつかれるんじゃないか。
そして、そんな真剣なやつの顔つきとか真剣な眼差しとかが自然と共感を呼ぶってな。
追記 人の上に立つとか、前に出るって言うのは、どこかで何かや誰かと摩擦は起きるし
思うようになんか行かないさね。
また、人に合わせようなんて無駄で無意味。自分に合わせてもらうつもりでないと。(笑)
忍、私の敵は私です。