「どうも どうも 高橋圭三です。」と言う懐かしいフレーズから入って見ました!
まぁ、この”トップギア!!”を見てる人の大部分が同じ世代等なので分るはず!!(笑)
そんなわけで本題に入りますが、あたくしこの”トップギア!!”でも何度か戦国
(正確には安土桃山時代)が好きと書いていて、たまに好きな武将の事柄なども書いています。
でもって、先日の女子から「私の上司も歴史が好きで・・・・・」などと言っていて「
「社長は誰が好きですか?」となり「どうせ、言っても分からないしょ!?」と、まぁ、ちょっと失礼な
対応をしましたが、案の定、この小娘は「バレました~!(笑)」みたいな。(泣かすぞ!)
まぁ、そんなわけで酒場の会話にもならない会話をするほどあたしゃ甘くは無いので、
テキトーにあしらいました。(イエーイ!)
同じようにこの時代が好きな人は分かると思いますが、最初は信長・秀吉・家康といった
ホトトギス三兄弟から入りますが、段々と地方の武将やその家臣などを知って
「おぉー!なんていい奴なんだ!!」とそっちのファンになってしまいます。
ただ、中々文献やらが無くあまり詳しいのもなく「秀吉の大軍を迎え撃った時に・・・・・」
的な、有名な武将達の相手側に出る程度だったりします。(笑)
なので、余計に先ほどの「私、ここ最近は歴史好き上司が話していたので
社長とも少しは合わせられますので!」みたいな、にわか歴史女子には
「蒲生氏郷と室町幕府少し前の”楠木 正成”ね」と。すると、小娘は「が、が、が?く?くす・・・・・」
勝手に火傷していました。(笑)
でも、あたくし先ほどの「信長・秀吉・家康」のこの三人はあの当時では結果論になりますが、
やはりこれだけ本や大河ドラマの主役になるくらいですから、物凄い才能と縁と運があった
人物だったんだと思いますよ。そのどれ一つ欠けていてもあのような偉業や後々まで頻繁に
登場はして来なかったとね。
けど、何となく男なら”織田信長”の生き様が好きじゃないですか?しかも、信長を一躍歴史の
表舞台に引っ張り出した”今川義元”との合戦は「絶対にムリ!!」と言う状態から
大逆転してみせたんですからね!(まぁ、日本も日露戦争ではそうだったけど)
その出陣の際に舞った(唄った)のが「幸若舞」の「敦盛」の一節で、「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。
一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」と舞って「いざ、出陣!!」とほとんどの味方が
ろくに準備をしていない中、馬に乗って駆け出して行ったんですよね。
まぁ、その後は歴史で証明されています。
若い時から奇行が目立ち”うつけもの”とアホ呼ばわりされていましたが、
実は勘が鋭く、決断力があり、戦術眼と度胸があったんですね。
なので、「どうせ、人間なんて50年くらいしか生きられねーんだから、やってやろーぜ!!」
と言ったかどうかわかりませんが、多分、きっとそんな感じだったと思いますよ。(笑)
それが、26歳時なんですからすんごい覚悟です。現に、信長が本能寺で”明智光秀”の
謀反(反逆)に合い、敵に自分の首を獲られないように最後は自分で火を放ち死んだん
ですから、インパクトは絶大です!それが48歳(享年49歳)なのでほぼ50歳!!
なんだか、そう思うとあたくしの人生は・・・・・。
追記 また信長は「死のうは一定(いちじょう)、しのび草はなにをしよぞ、一定かたりをこすのよ」
という小唄も好んで口にしています。
現代風に言いますと「人間はだれでも死ぬもの、生きたときのことをしのぶものとして、
生きているあいだになにをしておこうか。
人は、きっとそのことを思い出として語ってくれるだろうよ」
好きな事をやって生きてきましたけど、欲張りだと思いますがやっぱり死んでも
忘れられることなく、何かあった時に思い出して語ってもらいたいもんですよね。。。。。
「うちの”ジンしゃぶ”は生姜が効いてるので食べたら体が温まって汗だくですよ!」と”いっく”
で、「それで外に出たら風邪引くじゃん!」とあたくし。激しく同意する”いっく”でした・・・・・。
本日、大牟田の炭鉱ホルモン”みっちゃん”がオープンです!!まんまやんけ!!(笑)