高校時代に現国を教えていた”山本先生”と言う鳥取県出身の先生がいました。
高1か高2で砂川だか美唄の高校へ転勤になってしまい残念でしたね。
”山本先生”は「ヤクザ」と言う別名が付いており、その由来はその昔、廊下で生徒を
現国の教科書で血だらけになるまで(なってもやっていた)バンバン引っ叩いたと言う事件も
有りますし、それ以外にも諸先輩方も「アイツはヤクザだから怒らせたらヤバいぞ」と
言う話を必ず「加藤の現国の先生誰よ?」と聞かれて「山本です」と答えると、そのうような
回答が聞かれました。
確かに、注意されても教室がザワついていたりすると、「いい加減にしろ!!」と真っ赤な顔で
教科書を教卓に叩きつけた時の迫力は物凄く、悪ガキたちもシーンとなったりしたものです。
ただ、授業は中々面白くて、授業に関係のない話をしてくれて、正直、授業内容は
ほとんど(まったくか?)覚えていませんが、エピソードは良く覚えています。
一つに、”山本先生”の学生時代に柔道をやっていた友人は、「黒帯を取ってもおかしくない
ほどの実力なのに、敢えて白帯のままで対戦する黒帯の奴らをバンバン投げ飛ばす事に
快感を持っていた変な奴も居たんだ」と、何の話でそうなったのかは覚えていませんが、
そんなような事を度々話してくれたんですね。
また、夏休みや冬休みといった休み明けには必ず頭髪・服装検査があり、
ほとんどが水飲み場で行うのです。なぜ?水飲み場かと言いますと、休み中にパーマを
掛けてしまったけど、頭髪検査用に無理やりドライヤーで伸ばして来るのもいるのですが、
その辺は生活指導の百戦錬磨の先生たちはお見通しで、「そこで髪を洗え」と言われ
髪を洗うと、あら不思議!?ドライヤーで不器用に伸ばしていた、「どこの部族よ?」
と思うよな無理やり感のあったヘンテコな髪が「くるくる」とロッド状になるではありませんか?
「明日までに切るか、パーマを落としてこい!」となる仕組みで水飲み場なのです。
違う所でやると、そのままどっか行ってしまうのもいるので、何時の頃からか逃げ場のない
水飲み場でやるようになったと。(笑)
で、あたくしも短めでパーマを掛けていましたが、”山本先生”はあたくしの髪型を
見るなり「ホーッ、きれいに決まってるな。よし、行っていいぞ。」と。
ほとんど覚悟をしていたあたくしは嬉しいやら拍子抜けするやら。(笑)
きっと、自分で言うのも何ですが、あたくし髪を染めてもいなくテカテカにポマードなんかも
付けてなかったし、剃り込みも青ぞりではなくキレイに剃り込んでいたので、
”清潔感”があったんだと思うのです、はい。(笑)
教室に帰って来てから引っ掛かった友人たちは「かー、いいな~。」と羨ましがられました。
あと、高1?高2の2月くらいに札幌から帰省した兄貴の車の助手席に乗って
学校へ送ってもらう途中で事故ってしまい(電柱は倒れ、車は廃車)、入院はしていませんが、
ちょうどその日は期末?実力?試験で”現国”のテストを受けれなかったのですが、
職員室に呼ばれ”山本先生”が座っている机の所でテストを受けたのですが、
「本当にその答えでいいのか?」とか、「もう少し違う表現もあるよな?」とほとんど正解を
教えてくれ、中々良い点数を取ることが出来たんですよね。(笑)
”山本先生”が転勤したその年が芦別工業高校の開校何十周年だかの式典で
過去に居た先生たちも呼ばれて来るのですが、後ろの方の席のあたくしは
「山本先生も来るのかな~」と気にして見ていると、”山本先生”が入って来たので、
思わず、軽く手を上げて会釈すると、”山本先生”も「おっ!」と言う感じで嬉しそうに
手を上げてくれました。その後も先生の方をちょくちょく見ていると「ちゃんと前を見て
話を聞け」と言う仕草をしていました。(笑)
きっと、生意気かもしれませんがお互いに馬が合ったんだと思います。(笑)
やっぱり、先生も人間ですからね。
”山本先生”は今頃どこで何をやっているのだろうか・・・・・。
追記 まぁ、他にも色々な先生の思い出はあります。
ガッツリ叱られた先生もいれば、何をしても叱られない先生もいましたし、
ウィスキーの香水を付けてるのか?と思うほど、何時も酒臭い先生など。(笑)
今と違って、些細なことが問題になるような時代ではなかったので、楽しく学生時代を
過させて頂きました。
本当に先生方にはお世話になりました。
先生っていいですよね。。。。。
さぁ、今日から仕事ですよ!そして、飲みますよ!!(笑)