先日、「人は、運命が変わる前に危機が先行する私は自らの体験を
通じてそう確信しています。」と言う言葉を見て”ハッ!”としました。
確かに振り返るとあたくし自身も、”運命”が変わる前には何らかの
危機と言うか良くない兆候が続いていましたから。
これも何かの本で読んだのですが、人の運命が変わる時って言うのは
3つあるんだそうです。一つ目は親の死。二つ目は大病に掛かっ時。
三つ目は家が火事に見舞われた時だと。
順不同ですが、人間の人生おいてこの三つがその人の”運命”において
重要なキーワードだとか。
うん、確かにあたくしも”おやじ”がガンになって余命3ヶ月と言われて、
結果約1年ほど生きたのですが、何でしょうか?物心ついた時から
普通に親で変な話し、自分もそうですが親が死ぬなんて思っても
居なかったと言うが、「いつかは死ぬんだろうな?」とは思っていても
それが現実のものとなるなんて信じられなかったですからね。
また、前にも書きましたが実家が火事になって時も、なんだか不思議な
感じと、「火事ってモノの財産とかではなく、想い出と言う財産まで焼いて」
しまうんだな~」とショックを受けました。
大病も、まぁ、生き死にの病気ではないですが3ヶ月ほど入院と手術と
退院を繰り返して、その意間会社を休み仕事を一切しなかった時に
「人生とは?」とじっくりと考え、それがあったから今のあたくしが居ると
思うんですね。まぁ、”運命”=人生観が変わるということなのかと。
世の中には、もっと悲惨な親との別れや火災や病気(その三つが同時とか)
を体験している人も居ると思いますが、まぁ、あたくし的には一応は
その辺を経験してきたので、未経験よりは覚悟が出来ています。(笑)
って言うか”運命”って何なんでしょうね?
辞書では、「人間の意志にかかわらず、身にめぐって来る吉凶禍福。」
とありますから、努力とかそんなレベルで何とかなるとかではないんですね。
故”松下幸之助氏”は「人間、90%は運命やな」と言っておられました。
「人は、ある存在の意志によって、必然的にこの世に生まれてきたという
考え方もあるけれど、通常的に考えれば、偶然生まれ、生き、偶然に死ぬ
ということだろう。自分の意志で生まれてきた人はいないし、自殺以外、
自分で死にたいという意志で死ぬわけではない。いわば、偶然と偶然の間で
人は生き、だからこそ、必然を求めようと努力する。その努力こそが、
人生を充実したものにするということになるだろう。人生の根底は、
偶然が川の水のように流れているように思う。」と。
やはり、あれほどの経営者になると言うことが違いますね。
今度、”忍”にでも言ってやろうかな?
いや、ダメだ、やつも”トップギア!!”見てるから・・・・・(笑)
追記 とりたてて知識も特技もないあたくしがこうしてふんぞり返っていられるのも
優秀なスタッフと素敵なお客さんや良くしてくれる業者さんたちと巡り合えてたのも
”運命”なんですよね。。。。。
そんな”運命”の人たちの集まりの店です。(笑)