「人生は挑まなければ、応えてくれない。
うつろに叩けば、うつろにしか応えない。」
”故城山 三郎”氏が自身の著書『人生余熱あり』で述べております。
そう、人生も仕事も挑まなければ、応えてくれません。
その場だけ調子の良いことを言って繕(つくろ)っても、直ぐに見抜かれます。
目や言葉に力が無いから。
あたくしも伊達に歳を取っていないし、お蔭様で沢山のスタッフと話して来たので、
「コイツ、上辺だけだな」とか「俺が何もわかってないとでも思ってんのか?すっとぼけて」と
見抜きます。(笑)
なぜ?逃げる必要があるのでしょうか?
はい、それは真剣に考えてないからと、本気で何とかしようと思っていないから。
どこか他人事なんですね、「何とかなるだろう」とね。
言っとけくけど、「何ともなりません」
まぐれで「何とかなる」と気があるかも知れませんが、仮にそこで「何とかなったら」それこそ
悲劇です。それに味をしめてしまうから。
”城山さん”は「人生挑め」と述べておりますが、同時に仕事も含まれます。
壁に向かって投げた球が弱かったら弱く返ってきますが、思いっきり投げた球は
その勢いのまま返ってきます。
自分が何者でどうなりたいのか?何をしたいのか?
分らなければ分らないなりに”もがけ”ばいい。それも思いっきり”もがけ”ばいい。
理論よりも行動!
上辺よりも本質!
傍観ではなく挑めよ!
ちゃんと生きてるのに、魚の死んだ目になっていないか?
覇気のない表情になっていないか?
なにを知ったかぶってんだよ、わかっちゃないくせに。
物事、上手く行かないのは世の中や周りの人のせいではなく自分自身だろ。
そこが分らないから、いつまで経っても信頼も信用も得られないんだ。
もったいないよ・・・・・。