あたくしがこの飲食業に正式に入る年の前年になるので、1987年(31年前)。
当時、あたくしは生コン打設と言う建築ビルや家などの基礎になる生コンを「ポンプ車」と言う
車から出して打ち込む仕事をしておりました。
ポンプ車
打設、ニシキヘビを扱ってるわけではないですからね。(笑)
翌年の2月からアメリカへ行くことが決まっていたので、ハイラックスサーフを125万で売り
代車のスパイクがタイヤに5、6本しか付いてない白のスカイラインで通勤していました。
ある日、昼ご飯を食べて車でウトウトしながらカーラジオを聴いていると、
何だか、とても心地よいメロディーが流れて来て、渋い声が聞こえてきました。
シークレット・ラブ 愛されても~ため息ばかりOh~
シークレット・ラブ 悲しみをまさぐるようにMu
シークレット・ラブ 傷ついても優しさばかりが
シークレット・ラブ 口づけさえ涙に濡れる~
通い慣れた部屋の隅で明かりも付けづに
壁にもたれて
シークレット・ラブ想い出さえ誰にも言えずに
シークレット・ラブ今のあたし抜け殻みたい~
鍵を開けたドアの前に
灯りも付けづに頬杖ついて
シークレット・ラブ想い出さえ誰にも言えずに
シークレット・ラブ音をたてて絆が切れた~
切ない歌だな~と。
当時彼女と豊平のNAC(ナック)ビルと言うマンションに住んでいました。
まぁ、いつも喧嘩が絶えなく微妙な空気が流れていましたけど。
仕事を終え、車を近くの公園に停めてそのマンションへ帰ると部屋の灯りが点いていなく、
直感で嫌な予感がしました。
そしてカギを開けて部屋にへ入ると暗闇でもガラ~ンとしているのが分りました。
生活感がないのが。
何が起きたのかもわかりました。
「あ~っ、とうとう出ていったか~」と。
ソファーマットレスとラジカセだけが残る部屋で電気も点ける気も起きなく、
そのまま壁に持たれて、家を出る時まではブラインドがあった窓から月灯りを見ながら、
しばし途方にくれておりました。
で、ふと昼に聴いた曲を思い出し同時に「俺の歌かよ」と、面白くもなんともないのに
鼻で笑いながら切なくなっていましたね。
31年も前になるのに、季節が来ると思いだすもんですよね・・・・・。
追記 それからアメリカへ行き、帰って来てから飲食業で働く決意をしました。
それもこれも彼女が切っ掛けでしたので、今にして思えば感謝しています。
それにしても女性って、自分で買った物はともかく二人で買ったものまでキレイに
持って行くんですね。(笑)
”涙のシークレット・ラブ”