先日NHKで「ふたり」という番組で、スタジオジブリの”宮崎駿監督”
と息子さんの”宮崎吾郎さん”のをやっておりました。
「コクリコ坂・父と子の300日戦争〜宮崎駿×宮崎吾朗〜」という題名で、
現在上映されているコクリコ坂を製作するにあたり、天才的な才能を持つ
父親と比較され葛藤しながらも監督としと作品を作っていく番組です。
宮崎監督は息子の吾朗さんが監督業をするのは猛反対したそうです。
「監督という仕事はそんな甘いもんじゃない」と言う理由からですが、
あたくしは番組を見ていて思ったのは常に監督でもある自分と比べられて
しまい、苦労をするのは目に見えているので親心もあると。
仕事は何でも甘いものではないですが、しかし同じ土俵では一歩間違え
れば親子の関係さえも壊れかねない。と思っていたのではないのでしょうか?
それにしても改めて”宮崎監督"というのは「凄いな〜」と思ったことがあります。
息子の吾朗さんは何年か前に「ゲド戦記」という映画作りそれなりに賞は
もらいましたが、周りの評価はそれほどでもありませんでした。
で、今回の「コクリコ坂」がある意味において背水の陣です。
なので、色々と言いたいこともあるけど”宮崎駿監督”も敢えて口出しをしない
ように気を使っていました。
吾朗さんは吾朗さんで、「全体的に暗いイメージなっている」と言うことで
葛藤していたのです。その絵を見た”宮崎駿監督”が一言「死んでるよ。
魂が入っていない絵だ。まるで、死んだ人をいつまでも思っているようだ。」と、
一瞬で作品の暗いイメージを言い当てました。
主人公の16歳になる海ちゃんは小さい時に船乗りのお父さんを
海で亡くしたのですが、吾朗さんの絵にはどことなく哀愁が漂い作品全体が
暗いイメージなっていたのです。
あまり言わないようにしていましたが、このままなら映画は断念
しなければならなく、密かに”宮崎駿監督”は「もし、吾朗がダメなら
僕がやりますよ。」と覚悟を決めてもいました。
そうなると、吾朗さんはきっと監督業を諦めるしかなくなる可能性
もあるのですが、敢えてそう判断したのです。
吾朗さんが監督として出来るか出来ないかを決める絵の提出まで
あと三日という所で自宅にこもって仕事をしていた吾朗さんのもとに
一枚の絵が届きました。
それは父でもあり偉大な監督でもある”宮崎駿監督”からです。
そこには、それまで普通の歩幅で普通に歩いている海ちゃんの
絵ではなく、大股で少し前のめりに歩く海ちゃんが描かれておりました。
素人のあたくしから見ても、少し陰のある海ちゃんから明るく闊達な
16歳の少女がそこにいました。
それをヒントに吾朗さんチームは見る見る仕事がはかどって行きます。
”宮崎駿監督”は言います「僕は介入するつもりはないんですよ。
僕の知恵を使いなさいってこと。」と。
で、タイトなスケジュールの中、あの大震災が起きます。
緊急会議を開き、三日間ほど休むことに。
それを聞いた”宮崎駿監督”が「絶対やんなきゃダメですよ。もう一度
会議を開いて下さい。釈然としませんね。」と言いもう一度自身も出席
しての会議でも、「混乱するので出てこれる人だけ出てきてもらう」と言う
ような方針になりかけたのですが、
そこで監督は「誰が混乱するんだ!誰が混乱するって言ったんだ!
何が混乱するんだ!休んでしまった方が混乱だよ!」と更に「封切は
変えられないから、守る為に頑張っているんだから。多少、無理しても
やるべし!!こういう時ほど神話をつくらなきゃダメなんですよ。
多少揺れても作画したって。」と、それは物凄い迫力でした。
会議後のインタビューで「生産現場は絶対に止めてはダメなんですよ。」
と語っていました。あの大震災で現場が動揺している中、物事の本質を見抜き
断固として決断を下す”宮崎駿監督”に真のリーダーとしての姿を見ました。
このようなリーダーシップを日本の首相に望みます。。。。。