「一頭のライオンに率いられた百匹の羊の群れは、
一匹の羊に率いられた百頭のライオンの群れにまさる」
と言ったのは「ナポレオン」です。
元々はアレクサンダー大王が、
「私は一匹の羊に率いられたライオンを恐れない。
しかし一頭のライオンに率いられた羊の群れを恐れる。」
と言った言葉でもあります。
あたくしは、この言葉が好きですし心からそう思います。
最近、アホみたいに物分りのいい「リーダー」を気取って
いる輩が目立ちます。
そして、そいう輩に限って「個性を大切にしたいので」だとか、
「僕は叱ったりするのは苦手で・・・・・」などと、ムーミン・パパ
のような超がつくほど「甘ちゃん大魔神」なことを言ったりします。
アホか。
人の下で使われているならそれでも結構、しかし人の上に
立ち部下がいたり、様々な責任がその肩に懸かってるいるのなら、
「メリーさん」では話にならない。
リーダになると自分が意図してなくても向うから様々な形で闘いを
挑まれる時もあるし、状況が左右される決断に直面した時に「メリーさん」
的な「穏便に」などと言ってると食われてしまうのがオチです。
残念ながら、現在、丸かにも「メリーさん」が存在する。やはり「メリーさん」
がリーダーの店は統率がとれなく今いちシャキッとしない。
うん・・・・・、なぜだ・・・・・、あたくしは少なくとも「メリーさん」ではない、
動物占いでも「黒豹(ひょう)」となっていたし・・・・・。
では、なぜあたくし的にリーダーはライオンがいいと思うか、
それは面白いもので、最初は「草食動物の羊でも、ライオンリーダーに
肉を食べろ!」と言われて「すみません、僕たち歯が弱くて固いお肉は
食べれないです、それにどうも相手を倒すのは・・・・・」なんて言うと、
ライオンリーダーはこう言うのです「そうか、じゃぁ、俺に食べられるか、
肉を食べるか好きな方を選べ」と。
そうして、最初は渋々ながら肉を食べ始めた羊たちは「歯が丈夫になり
、闘争本能もつき戦いにも勝って行き自信がついて強い組織が作られるのです」
しかし、一方の羊のリーダーのいる組織は「ねぇ、みんなそんな野蛮なこと
はやめて草とか木の実とか紙を食べようよ、そうしたら無駄な争いもなく
なるし、みんな平和に暮らせるよ」と言います。
最初、部下のライオンたちは「そんなこと言ってたら、もし他の集団に襲われた
ら全滅ですよ、おかしら」と言いますが、
羊リーダーはこう言います、「いいえ、皆さんの不安は分かりますが、大丈夫ですよ。
相手も動物、じっくりと話し合えばきっとわかってくれるはずです、そんなことよりも
皆で傷を舐めあいましょう。もし、敵が襲ってきたら逃げればいいんです、地球の
果てまで」と。
そうして、最初は勇敢な「百獣の王」と呼ばれたライオンたちも、いつしか闘争
本能を失い、あのアフリカの大地でリカオンを一撃で倒した鋭い牙も爪も段々と丸みを
帯びてきて、いざとなった時に闘えなくて全滅してしまうのです、大切な家族も。
いくら勇敢なライオンが百頭いても、リーダーが羊ならライオンの皮を被った羊になるのです。
弱かった羊も勇敢なライオンのリーダーがいると羊の皮かぶったライオンになるのです。
まぁ、別に何でも戦いだと言っているのではないですが、しかし「リーダー」は皆を
守る存在であり統率者でもあるのです。
いいんです、慈悲深い羊の姿はプライベートだけで。しかし、仕事と言う他人同士
が切磋琢磨して時には「成果」を求められる仕事という「戦場」では、少しぐらい背伸び
してでも「勇敢なライオンリーダー」になりきって、部下を鍛えていかなければならない、
例え時には「非情」と呼ばれようとも、目先(自分)の体裁で動いちゃいけない、
人間、誰だって嫌われたくはないし、うざったがられたくもない。でも、それは「我がこと」
ばかりの考えであって、リーダーとして部下や集団のことを考えていない。
「叱りたくない」、「嫌われたくない」、「いい人でいたい」などと言っているから、
どんどん部下がダメになっていく、それがどれほど部下の為になっていないばかりか
結果、どれほどお客さんに嫌な思いをさせていることか。
部下一人のためにもっと「喜んで、怒って、哀しんで、泣いて、楽しむ」ことを全身で表現
して見ろよ。
それが自分の為にもなるのだから。