ブログ

記事一覧

更地。

あたくしの住んでいる斜め前のビルが解体されて
わずか一月半でこのような更地(さらち)になってしまいました。
ファイル 1351-1.jpg

それを見て思い出したのが2つあります。
それまでここで長い年月働いてきた人や、OBなどの
「諸先輩達はどう思うんだろうな〜」と言う事が一つ。

もう一つは高校からの同級生で同じ系列の建築業に
入った鉄筋屋の”あっき”のこと。

でも、あの見事なまでにな〜んにもなくなった更地を見たら、一言では
表せない様な空虚感になるだろうな〜と。

見るからに築40年近く経っている感じです。
支店と書いてあったのできっと本社は東京あたりではと。

あたくしと同じ「加藤」の社名だったので何となく気になっていました。(笑)

だけど、そのもの自体が無くなるという事はいくら想い出の中に
あると言っても複雑ですよね。

昨年の大震災の宮城県女川町の出身の俳優で歌手でもある
”中村雅俊”さんが「今まであった場所に何もなくなると、記憶の
中からキレイさっぱりと無くなっちゃうんですよ。」と言っていましたが、

確かにあたくしの育った西芦別の様子も炭鉱住宅がある所は
懐かしさを感じますが、一切建物が無くなって原っぱになっている
場所を見ても実感がわかないんですよね〜。

後者の”あっき”の件は、以前”あっき”が系列会社を辞めて違う
鉄筋屋へ行ったので”あっき”を尋ねて寮と書いてある場所へ行くと、
今で言う南1か2の西5,6丁目のビルの1フロアを貸しきり状態!?

そこに同じく一緒に辞めた中卒の”中山”と二人で、カーテンだか
シーツで仕切りを入れたり、洗濯物を干した状態で住んでおりました。

「なんで!?」と普通はなりますよね?
な〜んのことはなく、いよいよ札幌にもバブルの波が押し寄せて
あっちこち様々な事情で不動産が動いていたのです。

つまり二人は鉄筋屋の(非常に怪しい会社)人に言われて、
半ば不法占拠のような形で住まわされていたのです。(笑)

で、何が更地と関係あるのか?といえば、”あっき&中山”はその
非常に怪しい鉄筋屋の仕事で数ヶ月ほど東京の方へ行って
帰って来て自分達の荷物のある、一等地の寮(笑)へ行ってみると
これまた見事なまでの”更地”と貸していたそうです。

その光景を見た”あっき”の一言が「オレのラジオ・・・・・」でした。(笑)

人間、思いも依らない光景に出くわす時の不意の一言って
滑稽だよな〜と思ったものです。。。。。

ファイル 1351-2.jpg
そうだ、久しぶりに”あっき”の顔を見たくなったで近々顔を見に行ってきます。。。。。