よくスタッフが「勉強になります」とか「勉強になりました」と言うのですが、
あたくしはその言葉を聞くと何だか違和感を覚えます。
「そう、なら授業料を払ってよ」と。(笑)
別に勉強させているのではなく、売上・利益を上げてもらい
それに対して対価を払う。その過程で成功も失敗も挫折も様々な体験を
したことが振り返れば仕事をする上で、人生を生き抜く上で良い経験になって
いるだけです。
「勉強になります」とか「勉強になりました」だとか言っている自体、
まだまだ中途半端で受け身の表れなんじゃないかと思うのです。
先日の元タスコの人たちと久しぶりに会って飲んで、もの凄くエネルギーや
パワーを感じたのですが、きっとあの当時に働いていた人たちは誰も
「勉強になります」とか「勉強になりました」などとは思っていなかったと思います。
なぜか?あたくしたちは自分達で何かを成し遂げようとしていたからです。
単純に雇用する側と雇用される側の関係ではなく、何かを。
そしてその『何か』自体を模索して前に進んでいました
何かで読んだ文章で「人が、最大限に力を発揮できるのは、誰かに何かを
教えてもらっている時ではなく、誰かを必死に応援している時です。」と。
あたくしはそれを読んで「なるほどな~」と思いました。
そう、あたくしたちはタスコを必死で応援していたんだと思います。
今まで「何かのために一所懸命にやった!」と言うのがなく、かと言って
タスコでも明確な夢や目標があった訳ではないのですが、「何か」を信じて
その「何か」を見つけるために、会社を仲間をそして自分を応援していたから
もの凄い力を発揮していたんだと。
きっと『何か』とは、やろうと思えば何でもできる可能性を信じたんだと思います。
勉強なんてしなくていい。
それなら、必死に応援する側になってくれ。
そして、丸かがあたくしがその応援されるに足る器になって行きます。。。。。
あの頃は何もなかったけど『何か』を信じていたんだ・・・・・。
あっ、今年も”かぼすフェア!!”やってます!ちゃっかり宣伝かよ。