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もし・・・・・、いや、止めとこ。

先日、ふと思ったことがあるんですよね。
もし、朝目が覚めて昨日寝るまでの事が全て夢だったらと。
きっと、これまでの記憶が夢だったなんて信じられないで、暫く呆然とすると思う。

何処からどこまでが”夢”だったかによるけど。
物心付いた頃?学生時代?初めて仕事をした時?20年前?10年前?5年前?
とにかく昨日までのハッキリとした出来事が全て”夢”だったなんて、怖いし信じられないか。
けど、それが本当に”夢”だったのならどう思い、どのようなことを考えるのだろう?

その”夢”のように生きて行くのか?それとも、その”夢”の記憶があるまま
違う人生になるのか?もしくはすっかりと記憶が無くなって生きて行くのか・・・・・。

あたくし、自分の人生は「波乱万丈・喜怒哀楽」に生きて死にたいと思っています。
でも、ここ最近はディフェンス気味なので希望する生き方にはなっておりません。

なので、今回の「もし、昨日までの出来事が”夢”だったら」と考えた時に思ったのは、
自分が死ぬ間際になった時(どんな間際かは想像つかないけど)に、そう朝起きて
”夢”を振り返えった時みたいに「ずいぶんと良い”夢”を見させてもらったな〜。ありがとうな!」
と、死ねたら理想です。

でも、実は”豊臣秀吉”の”辞世(じせい)の句(死を直前に読む漢詩や和歌)”でもある、
「露(つゆ)とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも夢のまた夢」
貧しい農民の倅(せがれ)から、天下人になり栄華を極めた秀吉が
「夢の中で夢を見ているような、はかない一生だった」と言うような感じになるのか
も知れません。。。。。

追記 本当に”夢”だったら、今はもうこの世に居ないじいじやばあば、
それにオヤジと言った家族や親族、それに友達や仲間に会えるね。。。。。
ポチッとな。

ちょっと、待ったー!!
今日から”欽ちゃん本店”が八周年だったー!!本当にこれまでありがとうございます!!
そして、これからも「煙の向こうに懐かしさがある”炭鉱ホルモン欽ちゃん”」を
お願いいたしますね!!