先日(一昨日ですが)、夢を見てとっても懐かしい思いになりました。
高校を卒業して入社した「国際技研」と言う圧接業の仕事をしていた時の夢です。
あたくしは一年の半分は本州へ出張へ行っていました。その殆どは青森側からの
青函トンネル関係の仕事です。
札幌ではビルやマンションの鉄筋と鉄筋を圧接するしごとですが、本州ではレールを圧接
する仕事でした。
東京では最終電車が行くまで線路の近くで潜んでいて、最終電車が通った後に
「よし!」と始発が走るまでに作業を終えなければいけないので、皆キビキビと動きます。
昼は地下鉄と言うか地下で、まだ路線が開通していない場所を作業していました。
青森は青函トンネル内やそのトンネル内に入れるレールを地上で圧接する作業。
大体、一度行くと2~3か月ほど出張するのですが、主要メンバーは大体決まっていまして
あたくしは常に「レール班」だったのです。周りは「かっちゃんは大変だよね」などと
言うのですが、あたくし的には別に家庭を持っていたわけでもなく、彼女も居なかったので
一応、同情されるので「いや、しょうがないです・・・・・」などといかにも会社で決まった事なので、
みたいな感じで言っていましたが、実のところあたくし的には札幌の仕事の方がキツかったし
出張へ行くと手当も付くし何よりもお金を使わなくていいので、札幌に居る人よりも
かなりお金が貯まるんですね。お陰様で、一年で中古ですがハイラックスサーフを
現金で買えましたから。(確か、120万位だったかな?)
あっ、そうそう前置きが長くなりましたね。
で、一昨日見た夢が「何だかたくさん人が増えて来たな~」と思っていたら
あたくしを含めて数人が呼ばれてホワイトボードを見ると「出張者」と書いていて、
そこにあたくしの名前があり「交代で三ヶ月くらい行ってもらう」と言われる場面。
「道内でなくて本州ですか?」 「そう、本州だ。」
「まぁ、しょうがないよな。三ヶ月ってあっという間だし、真夏の蒸し暑い時期よりも
今くらいで良かった。」とひとり考えていました。(笑)
出張へ行く時にホワイトボードなんかに「出張者」などと書かれたことはありませんし、
まだあたくしが居た時には道内でのレールの仕事が無かったので当然出張は無かったです。
あたくしが辞めてから数年して、本格的に新幹線の通る位置が決まってから新幹線レール
の仕事をするようになり道内でも「レール班」の出張が始まりました。
けど、あれから32年も経つのにその時の心境や一緒に働いていた人の名前や
顔も覚えているんですから、懐かしさと共に何とも言えない気持ちになりました。。。。。
奥があたくし、大きなグラインダーで荒削りしています。(青森にて)
青函トンネル内で。
追記 あと、何らかの事柄を香りと言うか匂いで思い出すことってありますよね。
あれも不思議ですよね・・・・・。
皆さん、元気だろうか?
ありがとうございます、皆さんのお陰で今があります。。。。。