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またとか、明日なんてネーよ。

今日は10月10日、漢字で書くと十月十日、ひらがなで書くとしゅうがつとおか、これはイマイチ
だけど、10が2つ並ぶのって格好よくないですか?別に?
あっ、そうですか、では本題です。
例えば、医者が「今日の手術はダメだったな。まぁ、明日頑張るわ。」などとほざいている
医者が居たらでどうですか?自分自身や家族がそんなふざけた医者が手術担当なら。

店も一緒です。
「今日はダメだったから、また明日頑張ればいいや」と思っているとしたら、
盆と正月とG・Wが同時に来たくらいおめでたい脳みそです。

一人、一人、一組、一組、一日、一日を全身で打ちこまないと、そこにいる意味も
その一瞬、その日生きている意味がないんだよ。

「さっきあそこに座ってたお客さんは誰?」
「初めてだと思います・・・・・」
「で、誰?」
「聞いてなかったです」
「アホ」

初めてだから、「どこで知ったのか?何が切っ掛けで来てくれたのか?」を聞くんじゃないのか?
って言うか、一所懸命に店を良くしようよか、お客さんに楽しんで貰おうとかと考えていて、
また、だからこそ自分達も身を粉にして真剣に頑張っているのなら、その辺が気になるじゃ
ないのか?
確かに知っているお客さんや常連さんと話すのは楽しいし”楽”かもしれないけど、
本当にそれでいいのか?と。
もし、それでいいのなら『自分で独立した店で、一生同じ顔ぶれのお客さんを相手にやってくれ』
と言います。

わざわざ何かが切っ掛けで、例えそれが単なる通りすがりでも、それも「通りすがり」と言う
切っ掛けの一つで、何かが気になったからじゃないのか?店名なのか、外観なのか、
メニューなのか、それが「どこでも良くて」だとしても、それもある意味立派な切っ掛けだよ。

単なる「通りすがりや」「どこでも良くて」だとしても、そこから一生の付き合いになる可能性
だってあるんだよ。現に振り返ってみるとそのような切っ掛けで5年、10年、20年と今でも
顔を出してくれるお客さんがいっぱい居るつーの。

なぜ、米粒ほどの切っ掛けや出会いを大切にしないんだ?
今日は体が重くて気分が乗らないからか?
本当は休みなのに人が足りなくて急きょ出勤になったからか?
しかし、どんな切っ掛けでもわざわざ店の暖簾をくぐってきてくれたのなら、持てる力全身で
もてなすのが使命だろ。

自分の気分や体調の良い日に都合よく来てくれってか?
そのような人間はこの仕事に向いていないので、とっとと違う仕事を探した方が良い。

追記 この仕事が面白くて素晴らしいのは、この仕事をしていなかったら単に街ですれ違って
いただろう人と出会えることです。。。。。
まずは、一人、一人、一組、一組、一日、一日に全力よ。
先ずは言われたことをやる、やり抜く!!頭でっかちでは前には進まんよ。。。。。