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運動会。

芦別川の水早く~、岩をものまん力持て~
大地を走る白組の~(ここで赤組は、赤組の~と異常なくらい
大きな声で叫ぶ)、我らに敵(かな)う者はなし~。

これは私の故郷芦別市西芦別小学校の運動会の
時の歌です。私、出身は赤平(あかびら)市茂尻(もじり)町
に三歳までいて、それ以降、芦別工業高校機械科を卒業
するまで芦別でした。(なぜか芦別の人間は濃いよねって言われ
ますが、何か?)

まぁ、今日はそのとっても多感な時期の思い出の一節からです。

冒頭でもありましたが、小さい頃に染み付いた歌は幾つになって
も思い出として残っています。それが良い思い出でもあまり思い
出したくない思い出であったとしても・・・・・。

唐突ですが、皆さんは「家出」を考えたことはありますか?真剣に。
私、こう見えても「超」がつくほど繊細で感受性豊かで、別名「太宰」
と呼ばれていました。

そろそろ本題に入ります。私、足が遅くて運動会の徒競走が大嫌い
だったんです。だから、運動会が近づいてくると本当に嫌でした。
だから私考えました。本気で考えました。「い・え・で」を。

しかも「あ・め・り・か」へ。好きだったんです、アメリカが。好きだったんで
す、「名犬ラッシー」や「わんぱくフリッパー」や「じゃじゃ馬億万長者」な
どが。なのでアメリカへ家出することに決めたんです。運動会前に。

計画も入念でした。まず、苫小牧から船に乗って横浜まで行って
そして横浜からアメリカへ行き、アメリカ人のナンシーと結婚しようと。ええ、
もちろん船は貨物船で船底です。多分、密航というやつです。中1の夏の
ことです。

それには多少なりお金がいるだろうと、田舎でのアルバイトは新聞配達か
母親の白髪を1本1円で抜く位なものでした。なので、新聞配達を始めて
来年の運動会までにお金を貯めてアメリカへ行こうと。

私、案外まじめなんです。だから無遅刻、無欠勤、どんなに犬に吠え
られても逃げずにちゃんと新聞を届けました。あまりにもまじめなので、違う
新聞販売所の人にスカウトが掛かったくらいですから。

で、結局まじめなので、新聞配達やめれなくなっちゃいました。ええ、嫌な
運動会も出るはめになりました。でも、あんなに嫌な運動会も終わってしまえば
安堵感なのか、結局出て良かったな~となるんですね。

高校になったら98%男子ばかりなので、まじめにやる奴なんて陸上部くらい
なものです。しかもほとんど途中からいなくなるし。。。。。

結局、アメリカへは21歳の時に友達と行きました(その時の話は後日)。

あれから28年、今なら大丈夫かって・・・・・?   嫌です。

そういえば、運動会の練習をしていて家の近くで「自転車」にひかれたっけ。

ダサッ。