やっちまいましたね、”高野連”。
もう、本当にバカタレとしか思えません。この頃はなんでも「仕方がないですよね。」で済ませようとする風潮にとても違和感を感じますし、「なんだ?そのやる気の無さは?」とも思うんですよね。先日もラジオで言いましたが、バックスクリーンを境に1塁側と3塁側に分かれて内・外野広く使えば最低限の応援も出来るし、夏休みは学校へ行き休み明けに開催すれば暑さ対策と一石二鳥じゃないですか?もっと、考えれば良い知恵が出るのに、きっと出るのに”高野連”のへタレのバカタレどもが世間に忖度なんかしてんじゃネーつーの。
と言うことで、本題です。
”窮すれば通ず”意味としては「事態が行き詰まって困りきると、かえって思いがけない活路が開けてくるものである。」と言う意味。(分かりますか?保身まみれの高野連殿)
人間、余裕があるとかえってあまり良いアイディアや考えに至りませんよね。やはり、窮地に陥った時に細胞が「パッ!」と開くのが感じますもんね。(感じない?)
例えば、ボーっとしていた時に何かもの凄く怒りが込み上げるような出来事が起こると、目が覚める感覚になりますよね。体中の血が湧き立つと言うか血が逆流するのが分りますし、そうなったら判断や決断がもの凄く早くなりますからね。(迷いがないから)
なので、敢えて窮地に追い込むような行動を取ることもアリだなと思います。それは、自分自身でやることもあるし(火中の栗を拾いに行くような)、時には相手を挑発してそのように発奮させるのもアリです。
追記 「お前、魚の死んだ目になってるぞ。」と言われてる方は自分自身で追い込むか、追い込まないとダメですね~。あっ、夏休み・冬休みの宿題も最後の最後に追い込まれないとやらないのと同じですよね。(笑)
”高野連”は真面目にもう一度検討しなきゃダメだわ。
高校総体もそうですし、今回の”高野連”の決定もあたくしは子供の将来に暗い影を落としかねないのが心配です。。。。。