ここ最近、同郷の方と”欽ちゃん”で会ったり、来たりしてくれています。
数年前まで開催していた「芦別会」で知り合った頼城出身の”高原さん”は3つ上の先輩で
時々”欽ちゃん支店”でお会いします。先日も奥様や息子さんや娘さんお孫さんや
息子さんたちの友達まで連れて来てくれて、何だかあたくしの小さい頃に親戚が来た時や
何かあった時に行ったホルモン焼き「恵久(えく)ちゃん」の光景を思い出しました。(笑)
あたくしはまだお会いしていないけど、先日同じ「西芦別小学校」の一つ?先輩の”佐藤さん”が
妹さんと来てくれました。お兄さんが西小ならば妹さんも西小なので、今度会う機会があれば
懐かしい話でもしたいと思います。そうそう、何でも”佐藤さん”はこの”トップギア!!”を見ていて
くれているそうで、その縁で”欽ちゃん本店”に来てくれたとのこと。
「想い出のあとに」もよろしくです!
また、先日は幼稚園からの同級生でもある”西けん”が仕事帰りに(解体屋さんなので作業着の
ニッカボッカのまま)”てまひま”へ来てくれて(あたくしはいなかったのだけれど)、
「大変だべ~。かーに頑張ってな!」と言ってポケットからお金を出そうとして、
慌てて”細B”が「もらえません!社長に怒られます!直接本人に渡して下さい!!」と言い、
何とかお金をもらわないで済んだそうです。(笑)
いや~、その気持ちだけで充分過ぎるほどですよね本当に。
他にもコロナの真っ最中にお弁当を買いに来てくれた”黒川”や、心配して手土産を持って
来てくれた”宝金”、職場の人と”欽ちゃん”に来てくれた”恵美”や、本州から電話で励ましてくれる
“平場”といった友人たち。
ありがとうね。
あんなって言っては何だけど、田舎の山間の炭鉱住宅で育った子供たちがこうして
この歳になるまで縁を持ち、心配してくれたり、何かの切っ掛けでお店に来てくれたり、
今でも一緒に飲み行ったり、その飲みに行く店をやっていてくれたりと・・・・・。
それに比べて”外山”は、誰も居なくなった実家の芦別の空き家の家を「かー、200万でどうだ!?」って。
”外山”、”西けん”の爪の垢でも煎じてガブ飲みでもしてろ!!(笑)
追記 飲食店やっていて良かったな~・・・・・。年齢を重ねるごとに同郷の人たちが色々と経験し頑張って生きてきたのが
身に染みるようになって来ました。
いつか、帰れるんだろうか。。。。。