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”規夫”

早いですね、もう3月31日ですか。

と言うことは、本日を持って丸か加藤商店での
「鈴木徳太郎商店」の営業は終わりです。

と言うより、15年働いてきた”規夫”とも今日で最後と言うことです。
(あまり実感がないけど)

”規夫”とは、故荒城堅治(あらきけんじ)の調理師学校の同級生と
いうことで、当時”けんじ”が働いていた「しゃかりき屋メトロ店」で
お客さんとして来ていた”規夫”と会いました。

当事”規夫”は「京王ホテル」で養殖でなくて、洋食のコックをして
いまして、よく「しゃかりき屋メトロ店」で会っていました。

その内、いつの間にか”規夫”も「しゃかりき屋」で働くことになり、
そこから「暖中」へ移動して、東京へと。

2004年の3月に、あたくしがタスコを辞めることになり、
あたくしも、特に何も考えていはいませんでしたが、取り合えず
何も出来ないので、もし飲食店をやるのなら「料理が出来る人間は
いるよな?」と思い、頭に浮かんだのが”規夫”でした。

あたくしが東京にいる”規夫”に電話をした時に、本人は何の電話か
分かったみたいで、あとは「いつ頃からどうする?」というような話になり、
丸か加藤商店の設立から少し遅れて、丸かの創業に参加することに
なりました。

まぁ、皆さんもご存知の通り”規夫”は人が良いので、彼の周りには
人が集まってきますし、楽しい雰囲気に満ちています。

体格も良く、ただの0ブではなく「動ける0ブ」で、しかも気も利くし
料理が美味しい。

同じ料理を違う人が作っても、
なぜか”規夫”が作る料理は旨く感じるのです。(丸かの七不思議です)

”規夫”も今年で40歳。
以前働いていた同僚や後輩も今では自分で店をやっていますし、
同級生なんかもほとんどが自分でやっています。

ここ数年は”規夫”自身も色々な人から「自分でやれば?」と
言われ続けていたのも知っています。(余計なことを言う奴もいるもんです)

”規夫”自身も色々な意味で迷っただろうし、悩んだと思います。
だから、お互いにその辺は触れないようにしてきたのも事実です。

何だかんだと言いながら、やはり”規夫”の存在は丸かでも
あたくしの中でも大きかったですからね。(今でも大きいですけど)

でも、若い内ならまだしも、あたくしは経営者で会社を守る方なので
どちらかというと、優先順位的には”個人”より”会社運営”の方を
とってしまいます。

そんな時、昨年に一つの転機がやって来ました。
”規夫”に「食材の仕入れや開拓、開発」という、そんな規模でもないのに、
そして何となく曖昧な新規業務を任せることに・・・・・。

あたくしも”規夫”も、何か「もっとダイナミックで会社の将来の為になるとような
事業を」、又それが二人がもっと働ける時間になるんじゃないか?と、お互い
口には出しませんでしたが、多分そんな感じだったと思います。

しかし、素人がやるにはましてや現場の仕事をやりながらという「片手間」で
出来るような仕事ではありませんでした。確かに野菜などを作ったり、皆で
作物を獲りに言ったりと、でも、それはあくまでも”イベント”の範囲です。

そして秋になり、これからどのようにして行くか?と、漠然と考えていた時に
”規夫”と飲みに行く機会があり、その時に”規夫”の友達に偶然会い、
そして”規夫達”の知り合いの店に行ったときに、

「あぁ、”規夫”ってこんな付き合いがあったんだ。」と、あたくしや丸かでの
知らない”規夫”の付き合いを知った時に、

「よし、もう”規夫”は独立した方がいいし、その方がお互いの為だよな。」と
思ったのです。

そして、改めて真面目に『独立』の話をした時に、
何でしょうか、変な意味ではなくとても清々しいというか、心の中にあった
”モヤモヤ”が消えていく感じがしたのです。

きっと、それはお互い口にこそ出さなかった、いえ、出せなかったことが
いっぺんに解決した瞬間だったからだと思います。

無事に今日という日を迎えられて良かったです。
ええ、本当に良かったです。

これからは、いち経営者としての話が出来ます。
そして、一緒にいながら中々話せなかったことも話せそうな気もします。

何よりも、このような非常にお互いが納得して”清々しい”気持ちで
今日という日を迎えられたのが、非常に嬉しいのです。

この業界のほとんどの人は『独立』を夢見ます。
別に独立自体は難しくありません、借金をしてでも、しなくても
店を始めようと思えば、いつでも出来ますから。

ただ、『独立』が目的ではなく、それから繁盛店、いえ「今日店を開ける」だけでも
厳しい世界にあって、継続をして行かなければなりません。

そして、一番大切なことは「祝福をされながら”独立”」が出来ることです。
やはり、同じ商売です、少なからず利害関係も発生します。

しかし、競争社会なので、それはそれですが
最初のボタンの掛け方を間違うのはいけない。

そして”規夫”及び「鈴木徳太郎商店」は、
「立つ鳥後を濁さず」を絵に描いたように、最後の最後まで丸かでの
営業をきっちりとやってくれて、しかも物凄く良い数字も残してくれました。

思いだけでなく、形にも残すことは非常に大切です。


なぁ、”規夫”タスコ時代も通して、この15年間はあっという間だったな。
そして、楽しかったよな。

さぁ、明日から”規夫”のそして「鈴木徳太郎商店」そして、そこで
働く”浩太郎”初めスタッフ、お客さんたちの新しい人生のスタートだよな。

とてもいい気持ちだよ、いい感じだ。

たまに酔っ払って行くと思うけど、その時には沢山労わってくれよ、
あまり高くしないでくれよ、そして変わらない気持ちで接してくれよ。

だって『恩人』だもの・・・・・(笑)

じゃあな。

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