特別何も無いけど、何となく嬉しい感じです。
新人の人達は期待と不安での入社式を終えたのでしょうね、きっと。
皆さんの入社式は覚えていますか?
あたくしは、もう26年前になります。
「国際技研」と言う、東区にある建設業でそこの会議室で
入社式をやりました。
他にもグループ会社の人達がいまして、仕事柄なのか(間違いない)
ものの見事に地方代表の”パンチパーマ軍団”が揃っておりました。
いかにも、「身体一つ、一代でここまで築きあげてきたぞ!」的な
社長さんの話を聞いて、中々興味深い話をしてくれたのを覚えいます。
そして、その社長さんと若い時から一緒だった
これまた、いかにも「いぶし銀」といった”鬼軍曹”みたい人が、
新人研修を行なうとの事でした。(若い時に酒の変わりにメチルアルコールを飲んで
片目が見えなくなっていました)
何だかんだと20人くらいの中卒、高卒の田舎者がいまして、
そこで一週間くらい研修なんぞをやり、それから各おのおのの班に振り分け
られて、現場へ赴きます。
あたくしの最初の現場は埼玉市(現さいたま市)の大宮でした。
そこに一ヶ月ほどいました。
ほとんどの建設業は地方から人を採用します。
それは、地元の人では友達がいる分、遊ぶ機会が多かったり
そして余計な誘惑に負けて辞める人が多いからです。
その分、地方から来てる人は寮と現場の往復で、話し相手も
職場の人達なので、コミュニケーションも良くなるのです。
まぁ、でも、建設業は肉体的にも上下関係的にも中々キツイ職場です。
まずはGWを過ぎると数人がいなくなり、夏を過ぎる頃にも数人が消えています。
最初の内は研修の時に一緒だった人と、たまに現場で会うことも
ありましたが、月日が経つごとにその顔も見なくなって行くのです。。。。。
あたくしも約2年ほどで辞めましたが、その時に残っていた人は
5,6人でした。
あの時、一緒に研修を受けていた人達は今何をしているのかな~?
そして、あたくしが辞める時に残っていた人達は、まだやっているのかな?
それとも、自分で会社を興していてもおかしなくない年齢なので、
社長さんになっているのかな?
最近は特に建設業は厳しいので、みんな元気だろうか?
今でも、同じフロアーの仲間の名前と部屋の順番を覚えていますよ。
左側、大家(帯広)、三浦(上川)、山下(古平)、中野(長万部)、
はっち(留萌)、宮崎(三笠)
右側、中山(寿都)、高橋(滝川)、菅原(標茶)、あたくし(芦別)、
てら(恵庭)。
田舎から出てきて、右も左も分からなかった若者達。
学校を卒業して札幌という都会で遊びたい盛りの若者達が、
朝から晩まで先輩に怒られ働いていました。
雨で早く終われば”パチンコ”か誰かの部屋で”地元の自慢話”
月に2回の休みの前に、近くの「グランド居酒屋富士」か「村さ来」に行き
その後は野郎達ばかりでの”ボーリング”。
でも、それなりに楽しかったです、そんな中の一人が
今では、人を雇って飲食店なんかを経営しています。
あの頃のメンバーが知ったら、きっとビックリするだろな~。
昨年の今日もこの写真でした。(早っ!)
徳太郎メンバーから”記念パネル”を頂きました。
徳太郎前掛けは、あたくしからの”プレゼント”(優し過ぎる!)
歓迎会や新人さんを誘っての飲み会は「丸か加藤商店&徳太郎」でお願いします。