若い頃は、先の夢ばかりを見ていたんだ、
”可能性”という。
まだ、若くて張り切って「俺に出来ないことは何もない!」などと。
そりゃそうだよね、二十歳そこらなんで、ふり返る過去なんてないもんね。
でも、その後、特に幾多の恋愛や仕事、様々な経験をして来て、
自然と分かってくる。現実を、自分のことを。
で、今はどうだろう、
あたくしに関していえば、あまりにも振り返る過去があり過ぎる。
だから、今やらないと
今までの自分を仕事を人生を、全否定することになる。
世の中、「やり方がわからない」、「まだやったことがなくて」とか
「もし、失敗したら」「知らないと恥ずかしい」と、ごたくを並べて
縁側でお茶を飲んでいる働き盛りの人がいます。
残念です。
なら、一刻も早く行動に移さないと。
何も、今からメジャーへ行き”イチロー”を目指せとか、
”ロンドンオリンピック”へ行き金メダルを獲れなんて、畑違いなことなんか
言っちゃいない。
「自分で飯を食っていっている仕事で、その分野でしっかりと
仕事をしなさい。」と言っているんだ。
それを単に「やらされ仕事」なんかで、”しれーっ”とやり過ごそうなんて
性根が許せない。
そのような輩に限って、評論家のように「机上の空論」を言う。
あのねぇ、自分が飯食っている仕事と言うのは、それで生きている
ってことなんだよ、それは組織に属そうが、個人でやっていようが。
そして、そこには「嫌々」なんてあっちゃいけないし、ましてや
「しょうがなく」なんてモノはあってもダメなんだ。
そこにあるのは「自分が自分らしく、唯一できるのは”仕事”なんだ。」
と言う、もっと自分の心を”解放”させるものでなければいけないんだ。
でも、四十近くになって、あるいは四十を過ぎて、充分に振り返る過去があり
しかも、人生の折り返し地点に差し掛かっているのに、
縁側でお茶を飲んでいる、しかも、菓子まで摘みながら将棋や碁まで
始めようとしている。
自分で生活をしようとしない、生きていこうとしない、
息子の嫁がご飯の仕度をしてくれるまで、縁側にいる。
本当はまだ充分に働けるのに、しかも、その姿を”孫”に見せれるのに。
冒頭の話しに戻るけど、「二十歳そこらなんかで、大した振り返る過去なんて
ないんだ。」と。たまに、二十歳そこそこで「昔は、いろんなこと経験して遊んだな~」
なんて”うんち”みたいなことを言う奴がいるけど、そんなもの本当の恋愛や仕事や社会を
目の当たりにして、時に悲しく悔しい思いをすれば分かるほっとけばいい。
(もし、あたくしの身近にいれば、しっかりと”何が経験か”を教えるけどね)
”玉置浩二さん”じゃないけど「社会人なんだから、ちゃんと働きなさい」と
”石原真理さん”に言ってましたが、当たり前の話しです。
組織にいて給料を貰っているからって、働いていると思ったら大間違いです。
給料は貰うものでなくて、自分で稼ぐものです。
それは個人でやっているだけが対象ではなくて、組織にいる中でも
そのように”自他共に”そうなっていなくちゃいけない。(自他共にですよ)
それを縁側でお茶を飲んでるような”ジジィ”の感覚で、息子の嫁が
飯を食べさせてくれるなんて思ったら、それは”給料泥棒”って言います。
いま風で言えば”やってます詐欺”です。
もういいだろ、充分だろ ”お茶”なんか今飲まなくても。
もったいないだろ、これからあと20年後に”振り返る過去”を持つ為にも
そろそろ腰を上げろよ。
「何をしていいのか、やり方がわからない」 からやるんだろ?
「初めてだから」やってみるんだろ?
「失敗するかも?」って、やってもいないのに”何が失敗で何が成功か”なんて分かるのか?
いいから、まずは動けよ。
動きながら考えれよ、何かあったらその時々に対応すればいい。
別に生き死にの仕事なんかじゃないし、ましてや地球が滅亡することもないんだし。
生きながら、死んでいるような奴よりマシだろ。
なぁ、そうだろ、
その姿をよ、20年前の自分と同じくらいの「まだ振り返る過去」を
持つには早すぎる、部下や後輩達に見せような。。。。。
ん?なんだ?
「49歳で電車の運転士になった男の物語」と書いています。
そこに、こんなことが書いていました、
「大人が夢見てもいいんですね。」だってよ。。。。。