なぜか、成長過程にある人には、必ずと言っていいほど
試練が起きます。
例えば、最近、成長株の若手の店長がいたとします。
本人も周囲も”順風満帆”と思い、特に何も問題がなく
過ぎ去るかに見えていたら、突然”試練”が舞い込みます。
そのほとんどが”人”や”モノ”の問題です。
部下が急にいなくなった(浪漫飛行ともいいますけど)、
部下が事故を起こした、あるいは店が事故を起こした。
と言った、本人は一所懸命に働いて業績を上げているのに、
違った(思いもしない)角度から、まるで”ライダーキック”を
くらうように不意打ちをくらうのです。
「まさか!?」
と、一瞬、何が起こったのか?どうしたのか?と、かなり混乱します。
でも、あたくし自身もそうですし、そのような人を見てきますと
必ず特に調子の良い時ほど、そのようなことが起きる。
”油断”しているのでしょうね、きっと。
(でも、ある意味において”ラッキー池田”です)
でも、その時にそれを受け止めて、それからの行動でその人の
今後が決まると言っても過言ではありません。
そこで、その人の今と今後の(備わった)力量が分かるのです。
そりゃ、順調な時にしかも予想もしてないことが起こるのですから、
その時に多少動揺するのは当たり前ですよ。
がしかし、そこで力が抜けて何も手がつかなくなり、後ずさりする人と、
そこで空元気でも踏ん張って、前に出る人ではその後は雲泥の差がでます。
周りの部下や同僚、上司もその行方を見ています。
そして、前に出る人は”自分の先の姿を視野に入っているのです。”
「ここで、根を上げてしまうと、この先自分に芽はないな。」と。
そして、こうも考えます、
「この”試練”を乗り越えることで、また成長できるな。」と。
(だから”ラッキー池田”なんですよ)
そこで、踏ん張り、見ごと”試練”を乗り超えると
周りからは「あいつは”本物”だな」となる。
特に上司や部下からは「頼りになる」存在になるのです。
(同僚は、複雑ですけどね。(笑))
こうして考えると、面白いですね。
何もしない人には、ほとんど”試練”らしい”試練”は起きませんが、
前に出る人には必ず、それに見合った”試練”が起きます。
その度に”試されて”いるようです、
「おまえ、次はこれを乗り越えてみろ。」と。。。。。
そして、一段上がれば、また一つ”試練”が起きて行く。
しかし、生身の人間だから疲れるし、萎(な)える時もある。
そうすると、何も言わないで、その様を”ジーっ”と見られて
「別にいいぞ、お前がそこにいるんならいつまでも居ていいから。
立ち上がるのも、座り続けるのも自分自身の問題だからさぁ。」と
思われているような・・・・・。
ホント、中々味なことをやってくれます。
本気で頑張っているからこそ、そのようにスキル的にも
精神的にも成長させてくれる”試練”が起きるんですよね。
でも、あたくしは薄々気付いています、その”試練”の正体を。
それは”成長しよう”としている自分自身が作り出している
「内なる”エネルギー”」だと言うことを。
だから、自分であきらめればもう起きない。
少なくても”成長”する為の”試練”はね。
次は、どんな”試練”が起きるんだろうな・・・・・。
(たまには、やわらかいのでお願いします)