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輝く人たち。

7日から北京でパラリンピックを開催しております。
パラリンピックとは「国際身体障害者スポーツ大会」
のことで、オリンピックが終了後に同じ開催地で行う
もう一つのオリンピックのことです。

あたくしが愛読している月間誌で「致知(ちち)」と
いう雑誌を読んでいるのですが、印象に残っている
記事がありました。

それは、愛知県の岡崎市で小学校の先生をして
いる「鈴木良美さん」という方がおります。

念願の先生になり、三年四組で副担任を務める
ことになりました。初めて教室へ行った時に、「先生
は車椅子だけでなく義足というものを使っています。
見せてあげようと思うんだけど、いいかな」

「見たい」 教室のあちこちから、リクエストの声があがり
鈴木さんは子供たちを車椅子の周りに集め、自分の
義足を指差しながら、

「右足と左足は怪我の程度が違ったので、義足の作り
方が違います。ここが義足、ここがソケット・・・・・」と
一通りのことを説明して、

「苦手だと思う人は見ないようにして話を聞いてください」
と言って、義足を全部外しました。

「これが先生の足です」

すると子供たちは一様に驚いたような表情で、膝までしかない
鈴木さんの足を食い入るようにして見ました。

「先生は膝立ち、膝歩きはできます。自分のことは大抵できる
けれども、みんなに手伝ってもらわなくてはならないことがあるか
もしれません。その時はよろしくね」と自己紹介をして鈴木さんは
教師としてスタートしました。


鈴木さんは車椅子に乗っています、鈴木さんが中学2年の
クリスマスの日に、家族三人でスキーへ行く途中に車に乗っていて
軽い接触事故にあいました、これが最初の事故でした。

運転していた父と相手側が事故処理の話をして、しばらくすると
車の中で待っていた鈴木さんと弟に父が「いまタクシーを呼んだから、
車を降りて二人で橋の下まで来なさい」と声をかけました。

鈴木さんは弟と道路脇を歩いていたその時、一台の車が対向車線
から鈴木さん目がけて突っ込んできました。「あ、ぶつかる」と思う間も
なく、気がつくと鈴木さんの体は、

道路の真ん中に放り出されたのです。その時はまだ自分でも状況が
把握できていませんでしたが、足部に強烈な熱さと痛みを感じて
上半身を起こした時、少し見えたのが大量の血と鈴木さんのスノー
シューズでした。

両足がひきちぎられていたのです。

道路の真ん中に放り出されたので、万が一車が来たら鈴木
さんは逃げることができません。鈴木さんは「お父さん、お父さん」
と何度も大声を出して助けを求めました。

父はすぐに駆けつけてきて、鈴木さんを抱いて道路脇によける
と、自分の服で鈴木さんの足を覆いながら「大丈夫だからな。
すぐに救急車が来るから頑張るんだ」と励ましてくれました。

まさに家族は晴天の霹靂(へきれき)ともいえる大事故です。
実を言うと、その時鈴木さんは「死ぬんなら死んでもいいかな」
と思っていたと言うんです。

それは所属していたソフトボール部でいじめのような目に遭い
、成績もいまひとつ。それに加え友達との人間関係も歯車が合
わない状態も続き、投げやりな気持ちにもなっていたからなんです。

ただ、それでも自分を育ててくれた両親のことを考えると「このまま
死ぬわけにはいかない」と思いましたし、

「障害者の親にしてしまって申し訳ないな」と言う気持ちも湧いて
きたのです。病院に運ばれる救急車の中で鈴木さんは心の中で
、そういういくつもの思いが交錯していたといいます。

足をひきちぎられた娘を見た時のお父さんはどんな思いだったので
しょうか?そのような状態で冷静に自分のことや家族のことを考えた
中2の鈴木さんは・・・・・。

人間、まったく想像もつかないことがおきた時には案外、冷静という
より客観的に自分を見れるのかも知れません。

続きは明日の「トップギア!」で。