先日、以前いた会社の人間が来ました。と言っても、
約20年以上も前で、部署も店も違っていましたが会社的言えば
一応部下になります。
丸かにいて現在「円山古今」で、そば居酒屋をやっている細川家の
”細B”が”ドラゴン倶楽部”の店長時代にいたはずです。
今は恵庭にいて某銀行の副支店長として頑張っているとのこと。
あいにくその日、あたくしは不在で会えなく残念でした。
何でも、あたくしが”OPERA”の店長時代のアルバイトをしていた
人間が、恵庭でNO1のハウス系の社長をしているそうで何かの切っ掛けで、
お互いに「タスコ!?→俺も!!→あの優しくて思いやりのある加藤さん知ってる?
→知ってますよー!!」となったんだと思いますよ。(自作自演ぎみですが)
で、わざわざあたくしの名前があがり懐かしくなってその某銀行員の
”O君”が”てまひま”へゴディバのチョコレートを手土産に来てくれたのです。
ススキノへ行かなくてはいけないの急いでビールを2杯飲みほして行ったそうです。
正直、嬉しいですね。
直属の部下ではないのにね。これも先ほど言ったように優しくて思いやりに
あふれ過ぎていたせいでしょうか?(なんだよ!?)
また、その恵庭のNO1ハウス系の社長はあたくしが初めて店長をした時の
部下で、本当に頑張っていました。彼は19?20歳位で”OPERA”に面接に来る
前にホストクラブ(当時は流行っていて、メンパブの走りです)に勤めていました。
あたくし面接なんかするのは初めてで、「どんな人が来るんだろう?」と
待ち遠しくて、そろそろ時間だからと店の外に出ると彼が「ハッ!」とした顔で
立っていました。
「00君?」 「はい、そうです」 それから面接をして・・・・・。
少し慣れた頃に彼が「店長、怒らないでくださいよ!絶対ですよ!実は僕本当は
入口の前で面接辞めて帰ろうかと悩んでいたんです。でも、ここで働いて本当に
良かったです!」と握手して来ました。
「そうか!俺も入ってくれて本当に助かってるし嬉しいよ!!って言うか、いま仕事中
だからとっとと働いてくれ」と、とても思いやりのある言葉で返しました。(オイッ!)
当時、”OPERA”は新店舗人員も入れていたのでかなりの人数がいました。
なので、同じような年齢の若者達はライバル心剥き出しで、早番・遅番の時間が来て
「00、上がっていいぞ!」「えっ!?僕ですか!?まだ忙しいんですから僕を
上げるんなら00を上げてください!」と言うと、名指しされた00は「えっ!?何でよ!
お前こそ早く上がれよ!!」と言った感じで、「店には自分が必要ですよね!」
オーラ全開でみんな働いておりました。
コイツ等、エネルギーが余りすぎたのもあり、何を勘違いしたのか?週末の超満席で
忙しいのに、3人で当時流行っていた”ZIGGY「GLORIA」”を歌い、「お前ら他のお客さんも
カラオケを待っているのにスタッフが歌うのか!しかもくそ忙しいだろ!!」
「すいません!お客さんがどうしてもと言うので・・・・・」(ここで人前も気にせずに拳骨!
「すいません・・・・・」(笑)
一度、店が暇でちょうどバイトの給料日(当時は手渡し)だったのもあり、
「お前ら今日は上がっていいぞ!!」と言い、珍しく素直に上がり他店に行ったと
思うと、また帰ってきて「ボトル入れます!」と。
「いいよ、お前ら学生で金もないだろ!?」 「今日は暇だし、バイトの給料も入ったので
大丈夫です!その代わり、店長今日はこのボトルを空けましょう!!」などと、涙が
出るくらい嬉しいことを言ってくれた連中です。
「明日、試験だろ?もう上がりな」 「でも・・・・・」 「いいから、絶対に卒業しろ!」
「はい・・・・・」と渋々。店が終わり朝方6時くらいに帰る頃、隣のビルの自販機で
夜明けの缶コーヒーでも買おうとしたら、自販機と自販機の狭い間に人間が!!
よく見ると彼が缶コーヒーを持ったまま寝ておりました。(店が心配だったんですね)
そんな部下たちと日々を送って来たので、今が・・・・・。
あれから20数年、お互いにそれぞれの人生を送りながら”喜怒哀楽”の年月を
重ねて来たんですよね。まったく今の自分自身に納得はしていませんが、
少なくとも後悔もしていません。ただ、これから俺(あたくし)がどこへ向かって行くのか?
クソ分かりません。。。。。
追記 それぞれと一緒に働いたのは1年足らずだけど、内容が濃すぎて凝縮された時間でした。
あべちゃん、おかもっちゃん、今度みんなで飲もうぜ。
(まだ、早いか・・・・・)
右下の日付に90年3月になっているから、あたくしがOPERA最後の日です。
”つぐみ”ちゃん(細B)、”OPERA”でたまに歌っていたよな。。。。。
目立たないように、
おまけ。(若ッ!)
誰だよ!(笑)